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今週の風の詩

第3972号 ベランダの静かな同居人(2025.3.30)

ベランダの静かな同居人
いぬいしろ(ペンネーム)

昨年秋から仕事の都合で地元を離れ、一人暮らしを始めた。
自由が増えた反面、さみしさを感じることも多い。

そんななか仕事の関係でチューリップの球根をいただき、初めてチューリップを育てることにした。
球根は30個ほどあり、私の賃貸では育てきれないため、実家の両親と姉夫婦と分けてそれぞれの家で育てることにした。

チューリップは、寒いうちに球根を植えて、たくさんの水を与えることで春に花を咲かす。
芽吹く日を楽しみに水やりを続けた。

そんなある日、小さな小さな芽が出ていることに気がついた。
姉の家でも同じように芽が出て、少し遅れて実家の庭でも芽が出た。
それぞれの家の赤ちゃんのような芽の写真を送り合った。

毎朝の水やりは、チューリップの成長を確認するだけでなく、その日の天気のこと、春が近づいていること、離れて住む両親や姉のことを考える心穏やかな時間になった。

出張などで数日家を空けたときは、帰ると真っ先にベランダのカーテンをあける。
すくすく成長しているチューリップたちを見ると、あたたかく豊かに気持ちになる。

新生活を始める方が多いこの時期、寂しさを感じる方は、植物を育ててみるのはいかがだろうか?
ベランダの静かな同居人は、静かに寄り添い、新しい季節を届けてくれる。




第3971号 ソメイヨシノ(2025.3.23)

ソメイヨシノ
meicoco(ペンネーム)

 通っていた小学校は都会のど真ん中にあった。そのため校庭は狭く、バスケットコート1面も取れない広さで、しかも路面はコンクリートだった。しかしそんな学校でも、1本だけ桜の木があった。校庭の隅、鉄棒の後ろ側にひっそりと植えられていたのである。
 最初、私はそれが桜の木だとは気づかなかった。なぜなら桜が満開の時期、小学校は春休みだからだ。
 桜は、春休みになって校庭から子供たちの姿がなくなると開花し、子供たちが戻ってくる頃には、その花のほとんどを散らせてしまっていた。
 しかしある年の春ーその年はいつもよりも寒かったのかー桜はその花をかろうじて枝に残していて、偶然私はその花に気づいた。
「へー、この木、桜だったんだ」
 そして同時に、木に掛けられていた1枚のプレートにも気づいた。そこにはカタカナで「ソメイヨシノ」と書かれていた。
 「そっか、この木は上級生のソメイさんとヨシノさんがお世話しているんだ」
 そこから私の想像は広がった。ソメイさんとヨシノさんは園芸部。花が大好きな仲良しで、春休みも桜の観察に学校にやって来る。
 毎日つぼみの数を数え、開花を喜び、花が終われば虫がついていないかとか心配する。
 「だから毎年綺麗に花が咲くんだろうな」
 私は見たことはない上級生に、思いを馳せていたのである。
 ソメイヨシノが桜の品種だと知ったのは、それからしばらく経ってからだった。
 「本日靖国神社の標準木、ソメイヨシノが開花しました」
 テレビのニュースで初めて人名ではないと気づいた。そして少しだけガッカリした。
 しかし春になって満開の桜を見ると、今でも私の頭の中には小学生のソメイさんとヨシノさんが現れる。一生懸命、楽しそうに桜の世話をしている姿が浮かぶのである。

第3970号 ムスメのワガママ孝行(2025.3.16)

ムスメのワガママ孝行
伊達菜月

3月になった

新卒以来の単身生活にピリオドを打ち、実家に戻って来てからもうすぐ丸2年が経つ。

一切他人を気にする必要なく、自分のペースだけで生活全てを構築できる独り身の日々はさしずめ本当に「おひとり様天国」で、その生活が長かったこともあり、出戻り当初はフラストレーションを感じたこともあった。


自宅のリフォームや近所の方の引っ越し、建て壊し。戸建の建設ラッシュにマンションの解体。

この2年間だけをとっても、実家も、そしてこの近辺も随分変わりしたが、その中でも痛感したのは、「自分の両親も年を重ねる」という当たり前の事実だろう。

頭では理解していても、時たま会うのと毎日顔を合わせるのでは、その実感はまるで違った。


『親孝行したい時に親はなし」という言葉があるが、これはなにも親の死後に限った話ではない。

無論親孝行したいが為にではなく、私自身が共に行きたいから誘うわけだが、例えば旅行に行こうと誘っても「もうそんな体力ないから」と断られてしまったら、それはもう実現できないことなのだ。

幸いなことに私の両親は未だ健在だが、それでも親自身に行動が伴う場合、制限なしの共有の思い出を作れる時間は切ないほど短い。


「不変で絶対的存在だと思っていた両親でも「いつか」に近づいている」

避けてきたこの事実を直視すると途方もない悲しみと焦りに襲われるが、未だなんとか親の健在な今の段階で実感できただけでも、私は実家に戻ってきて本当に良かったと思う。

どんなに冷たくしてしまっても変わらず31年愛を注ぎ続けてくれた大好きな両親に、私はもっとたくさんの思い出作りの提案していきたい。

そしてあわよくばその実行の過程で体力をつけて、元気にどこまでも長生きして欲しい。

まだまだずっと一緒にいたいんだからね。まだまだずっと、私のワガママに付き合ってもらうよ。

一緒に出掛けて一緒にたくさん過ごそうね。だからずっと長生きしてね。

第3969号 六年生ありがとう!(2025.3.9)

六年生ありがとう!
しほか(ペンネーム)

わたしは、六年生にやさしくしてもらいました。

くつばこそうじがおわって、チャイムがなるとき六年生がちかづいてきてくれて、

「かわいい。」といってくれたから、やる力がでてきました。

そのときは、六年生にあまえちゃいました。

六年生が中学校へいっても、またあいたいです。

これからも、中学校へいっても、むずかしいじゅぎょうがあったりしても、

ぜったい、がんばってほしいです。


第3968号 ランドセルと制服(2025.3.2)

ランドセルと制服
佐藤塩胡椒(ペンネーム)

小学校の入学準備で、ランドセルを選びに行った。
入学おめでとうの文字と共に、ずらりといろんな色のランドセルが並んでいた。形はほとんど同じだが、色はもちろん、施された刺繍やハトメの形、内側の仕様の違いにはかなりの種類があって、決めるのが大変だった。色は好きだけど細かいところが気に入らなかったり、表にリボンやハートの刺繍がたっぷり入っているものがいいと言えば、少し子供っぽいんじゃない、と嗜められたりした。母からの助言で「ずっと好きでいられそうな色で、お姉さんぽいもの」を基準に選ぶことにした。売り場を何軒か周り散々悩んだうえで、大好きなピンク色のなかでも上品なローズピンクのものを選んで買ってもらった。内側にプリンセスの刺繍があしらわれているものだった。好きな要素がたくさん詰まっていて、すぐにお気に入りになったし、何だかお姉さんに近づけた気がして嬉しかった。このランドセルを背負って小学校に行くのが楽しみで仕方なかった。
 登校初日はランドセルに合わせてピンク色のスカートを履いて行った。ランドセルはピカピカで体には不釣り合いな大きさだった。

 何度か春が巡って迎えた卒業式の前日。
家に帰って床におろしたランドセルは、何だか少し色褪せて、小さく見えた。
 私は最近、もっぱら黒やグレーの服を着ている。ピンクはもう、1番の好きな色ではなくなってしまった。
 中学の制服をはじめて試着をした時、少しそわそわして、初めてランドセルを背負った日の、あの高揚感が蘇ってきた。結局少し大きめのサイズを買ってもらうことにしたけれど、きっとこの制服も卒業する頃には小さくなっているだろうなと思う。
 大好きな色でお気に入りだったランドセルも、今ではどこか遠く、懐かしく見えるみたいに。

 春は期待と緊張の混ざり合った、少しくすぐったい季節。けど今の私はもう、また何度か春が過ぎていけば、背伸びしていたことを懐かしむ日がくるのを知っている。

第3967号 懐かしさと春の香り(2025.2.23)

懐かしさと春の香り
KANA(ペンネーム)

マンションのエレベーターでのこと、先に乗り込んだ私は老女が乗り終えるまで開ボタンを押しながら待った。乗り終えた老女は「ありがとうございます。お待たせいたしました。」と上品な口調でおっしゃった。私は「いいえ、あの何階ですか?」と尋ねた。老女は階数ボタンを見ながら「あら、同じ。」と微笑んだ。その笑顔に私も思わず微笑みかえした。すると老女は、「あの、ここにお住まいの方ですよね。もしご迷惑でなかったらデコポンもらっていただけないかしら。主人の実家から2箱も送ってきて私達2人では食べきれないの。」と言った。私は突然のことで少し戸惑い、返す言葉に詰まって間が開いた。老女を見ると私の答えを待って微笑んでいる。その笑顔に「はい、大好きです。」と答えてしまった。その時エレベーターが停まったので、私は開ボタンを押して老女が降りるのを待った。「ありがとう。よかったわ、ちょっと待っててね。」と老女は家にデコポンを取りに行った。私は付いて行くのも失礼かなと思い、エレベーターの前で待った。

数分後、ドアの閉まる音がしてコンビニの袋を重そうに持った老女がこちらに歩いてきた。私は迎えに行く形で老女の元に行き、袋一杯のデコポンを受け取った。「はい、お裾分けね。」と、また優しい笑顔でおっしゃった。

「こんなにいっぱいありがとうございます。」私はお礼を言ってありがたく頂戴した。

『お裾分け』なんて久しぶりに聞いた。『つまらないものですが』と同じように少しへりくだった言葉。祖母が生前良く使っていたことを思いだした。私でさえ使わないから、若い人はもっと使わないだろう。でも私はこの様な日本人特有の奥ゆかしい言葉が好きだ。出来ればこういう言葉と奥ゆかしい気持ちはこれからも無くなって欲しくない。私も使わなくては・・・。

懐かしさと春の香り、そして老女の笑顔に私はすっかりほんわか気分に包まれた。

第3966号 人生の鍛錬~優しさに触れて(2025.2.16)

人生の鍛錬~優しさに触れて
なると金時(ペンネーム)

娘(5才)初めてのピアノ発表会。会場は近所にできたばかりのぴかぴかの市民ホール。まだ一度も訪れたことがないが、ホームページで確認すると約1200席あるという。そんな大舞台、母の私は出演する訳ではなく袖で見守るだけだが、リハーサルを終えると緊張が走る。娘もお友達も緊張しているのか口少なで、表情が硬い。当たり前だ、私が小さい頃もそうだった。いつの時代も舞台に立つ、ということは特別な経験で手に汗を握る。

直前のリハーサルを終えるとさらに緊張してきた。着慣れない衣装を着ている娘は口には出さないもののすでにお疲れモード。リハーサルが終わり本番までの時間に各自お昼を取ることになっていたので、一旦会場の外へ。娘と近くのチェーンの喫茶店まで歩こうかということになり、歩いていた時、前からお散歩中のおばあちゃん(推定80齢ほど)が、キラキラした目を向けてこちらに歩いてくる。

どうみても目が合ってしまっている私はこんにちは…と言いかけようとした瞬間、「あらまー!お嬢ちゃんそんなかわいい格好してどこ行くん?何かの発表会でもあるん?」と娘と私を見ながらこちらの方言(分かる方には分かりますよね)で話しかけられた。私が「ありがとうございます。これからピアノの発表会なんです」と答えると「ほうねー!かわいいわ〜。お母さんも素敵じゃわ〜上から下まで綺麗にしてから」と。こちらがお礼を言う間も無く「ほじゃがんばってね」とささーとお散歩に戻られた。

娘をかわいいと言ってくれた人は今までも時々いたが、母のことまで褒めてくれた人はきっと彼女が初めてだった。娘も私もその声かけにほっこりした。「おばあちゃん優しいね」と話し、発表会への足取りが親子とも軽くなった気がした。

勝手に80齢ほどと推定してしまったのだけれど、私も相手の足取りを軽くしてしまうような、そんな声かけがさらっとできる婦人になりたいと密かに思ってしまうのであった。

第3965号 チョコレートづくし(2025.2.9)

チョコレートづくし
吉村史年

念願のイースタンオリエンタルエクスプレスに乗ることができた。アジア版オリエント急行で。シンガポールとバンコクを二泊三日で結ぶ豪華寝台列車だ。ヨーロッパ調の内装の個室に行き届いたサービス、料金に含まれるフレンチやイタリアンの食事とアフタヌーンティー、これらが味わえるという期待感で胸が膨らんだ。
 同行する母は、余程楽しみにしていたのか、この日のために英会話学校で特訓していた。元来努力家の母のことだったので、列車内の手続きや乗務員とのやり取りは任せようと思った。
 列車に乗り込むと、二人用のコンパートメントに案内された。昼間はソファに座って景色を楽しみ、夜は二段ベッドをセッティングしてもらえる、木製とビロードの生地の内装に囲まれた空間は、シックで安らぎをおぼえるものだった。
 二日目の午後、母はコンパートメントでゆったりと過ごし、私は展望車でワインを飲みながら、添乗員のピアノ演奏に耳を傾けた。ほろ酔いで個室に戻ると、アフタヌーンティーとしてトレーが置かれていた。見ると、トリュフ、プラリネ、チョコクッキー、ホットチョコレートにガトーショコラとチョコレートづくしだった。
 チョコレートが大好きな私は舞い上がったが、ワインでお腹が緩くなった私は、コンパートメント内にあるトイレに駆け込んだ。その間に、乗務員が部屋に来て母に二言三言話しているのが壁ごしに聞こえた。まさかと思い、トイレから出ると、チョコレートのトレーは持ち去られていた。母に訊くと
「残ったものをお下げします」
 というようなことを言っていたらしい。私は、なぜ止めてくれなかったのかと文句を言った。きっと母の英会話力なら伝えられたはずだった。
 しかし、その時思い出したのだが、私も母も人見知りで、知らない人に何かを要求するのは苦手だったのだ。英会話の前に、二人とも初対面の人と気後れせずに話をする練習をすべきだったと、反省した次第である。

第3964号 冬のぬくもり(2025.2.2)

冬のぬくもり
野原圭(ペンネーム)

 遠い昔の2月、中学受験に失敗した。親の意向での受験だったが人生初めての挫折は親の落胆と相まって子供心に暗い陰を落としていた。
 そんな私をみかねた近所の人から英語塾に誘われた。中学から始まる英語の授業に備えた短期間の塾なので、ビルの空室を利用した生徒10名ほどの寺子屋のような雰囲気だ。先生は、当時女の子の憧れだった「スチュワーデス」今で言う「客室乗務員」を目指す明るく朗らかな女性だった。ふんわりとカールした髪にえくぼが愛らしい、優しいお姉さんのような先生の授業はとても楽しく、私の翳りは徐々に拭われていった。
 ある日真っ暗な帰り道、冷たい風に首をすくめながら歩いていると、先生は蒸気で曇ったガラスケースが明るく輝く店先で立ち止まり「みんな、肉まん食べない?」と笑いかけた。ほわほわと湯気の上がる白く柔らかなご馳走は凍えた手にふっくらと温かくしみわたり、皆夢中でかぶりついた。言葉に尽くせない格別なおいしさは、冷え切った体だけでなく心までほかほかと温め、私たちは優しいぬくもりを頬張りながら元気に家路についていった。
 やがて授業の最終日、先生がいつになくそわそわと落ち着かない様子をしていた。「きょう、採用試験の発表で連絡がくることになってるの」という表情は緊張でこわばっている。携帯電話はなく、急な連絡は取り次ぎが必要な時代だった。全員、心ここにあらずで座っていたらビル管理の人が先生を呼びだした。戻ってきた先生は涙をこらえているようで皆固唾をのんでいると「ごめんね。あんまり嬉しくて」と話す途切れ途切れの言葉に私たちは自分のことのように歓声をあげて飛び上がった。
 寒さの募る季節が来ると、可愛いえくぼと優しさの詰まった最高のご馳走を思い出し、自分の受験が不合格でなければ出会えなかった冬のぬくもりを、大人になった今も大切に抱き続けている。

第3963号 冬の朝日に包まれて(2025.1.26)

冬の朝日に包まれて
武華子

2月のある朝。
休日の朝食どきにかける馴染みのラジオ番組から、ニーナ・シモンが流れる。

ピアノの軽やかな旋律とあまりに美しい歌声に心を奪われ、ふと窓辺の景色に目が移り、手元のコーヒーマグを持ってベランダに出る。

朝ぼらけの淡い空。
冬の朝日はとても優しい。
ひんやりとした空気の中、
目を閉じて、瞳の奥に届くあたたかさをめいっぱいに感じる。

なんでもない1日のはじまりが、
生まれて此の方ずうっと同じ地に住み
時に辟易とするこの場所が、
幸せだと感じられた、ささやかで贅沢なひと時だった。

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