第 3872号2023.04.30
「お袋最後の卵焼き」長坂 隆雄(ペンネーム)
お袋が最後に卵焼きを作ってくれていたのは、92歳の時だった。 都会に住む私の家への転居を断り、最後まで田舎の家に一人で 住む母のもとへ、お盆と正月だけは帰郷するのが慣例になっていた。 その都度、母はいそいそと田舎の料理を作ってくれた。 子供の頃からの私の好みを熟知している母は、必ず卵焼きを作って くれた。 単純なもの程難しいというが、甘党の私にとって、甘さの引き立った 卵焼きは何物にも優る好物であった。 ところが、ある時、卵焼きの味がいつもと違っていた。いつもの甘さが なく、しょっぱい味だった。 さすがに、それは食べれたものではなく、一口食べただけで、そっと 卵焼きを捨ててしまった。勿論、その事が分かれば母親は悲しむと 思ったから、見つからない様に、こっそりと捨てたつもりだった。 いつもと違う様子に母は気がついたかも知れないが、何も言わなかった。 いや、何も言ってくれなかったが、母の横顔が、淋しそうに見えた。 その数日後、母は脳内出血で倒れ、帰らぬ人となってしまった。 その時、私は思ったーー母親の卵焼きの味が不味かったのは、脳内出血の 前触れだったのではなかったかと。 私は後悔したーー母が体調不良だった事に気づかず、そんな母が作って くれた最後の卵焼きを食べずに捨ててしまったことを。 通夜の時に出された料理の中に卵焼きを見て、胸の詰まる思いがし、涙が とまらなった。