第 3868号2023.04.02
「匂い」麦生田 直子
忘れられない匂いがある。 単身赴任の夫の赴任先に旅行気分で出掛けては、色々な匂いに出会った。 茨城、静岡、名古屋、福岡15年間それぞれの場所で。 紫陽花、菜の花、桜、梅、バラ、各地の温泉、ご当地名物、福岡では糸島 でみた青い海の匂い、大宰府天満宮の梅の香り。大好きな梅が枝餅の香ば しい匂い。沢山の思い出深い匂いに連れて行ってくれた夫にとても感謝し ている。 最近家の中にも匂いが溢れている事に気づいた。 年末に買ったシクラメン、きゅうりの少し青臭い匂い、シソの香り、カレー や醤油の香り、バナナケーキや、アップルパイ、そうそうシナモントーストも。 実は最近16年程勤めた職場を退職した。 家時間が多くなって、今まで気が付かなかったものに目が行くようになった。 匂いもその一つ。 高齢の父の世話の臭いは少し切ない。我慢しても、どうしても涙が滲む。 けれど訪問看護の看護師の方に、最近玄関のドアを開ける、美味しそうな匂い がする様になったと言われて嬉しかった。 数年前から仕事を辞めようと思い始めてやっと今回決心した。準社員からパート そして両親がいよいよ高齢になり、更に時短にして勤務体制は変わってきたけれど、 ほとんど仕事中心の毎日だった。私なりに、家の中と職場と頑張ってきたつもり だった。そしてまだ働きたい気持ちもあった。でもどこか無理があったのだろうと 思う。職場に対しても、自分にとっても。 退職の日。 娘と息子が、待ち合わせの駅で思いがけず、花束を持って待っていてくれた。花の 香りと、二人の笑顔に「いいタイミングだったよ」と背中を押された気がした。 それば最近の忘れなれない香りになった。 もうすぐ私の好きな桜が咲きだす。先日しばらく振りに薄いピンク色のボトルに 惹かれて香水を買ってみた。少しずつ自分の時間に戻していこう。色々な匂いを 感じながら。