第 3854号2022.12.25
「昭和一桁とジェンダーフリー」
かぼちゃ(ペンネーム)
お正月がくるたび、亡くなった父の作ったお雑煮の香りを思い出す。 単身赴任をしていた父は、クリスマスを過ぎた頃にお正月休みで帰 って来た。帰るやいなや、張り切って大掃除に乗り出す。サッシか ら網戸からお風呂の換気扇まで、普段ズボラな母が決して手を付け ない所に手を伸ばし、お風呂の蛇口にホースをつけ、そこから出て くる水で、はずした網戸へ向けて豪快に放水し水しぶきをあげてい た。それは掃除というよりは、なにかの行事のようだった。一夜飾 りはダメが口癖で、30日までには必ず正月飾りを飾っていた。 そして元旦には、父のお雑煮が振舞われる。薄味のすまし汁で、 お餅、鶏肉、蒲鉾にかつお節のシンプルなものだったが、身に染み わたるように美味しくて、お正月を実感する瞬間だった。今思えば、 昭和一桁生まれの父は、掃除も料理も率先してやっていたから、 ジェンダーフリーの先駆けだったろうか。戦後の貧しさから若くして 実家を離れ一人暮らしが長かったから、それは何らかの主張という よりは、生きていくための必然に過ぎなかったのだろう。 大方の人にとっては「カップルのひな型」は、最初に出会う両親だと 思う。ちなみに私の夫も、真面目に働き家事も率先してやってくれる 父に似た人だ。お父さん、私が今ささやかな幸せを手にしているのは、 もしかしたらあなたのおかげかもしれません。でも夫のお雑煮には お味噌が入っていますよ。 そんなのは邪道だと、あなたの声が聞こえてきそうです。