第 3851号2022.12.04
「光陰矢の如し」
木棚 まり子
普段はそんなに気にしていない広報「としま」。金婚の祝い品を贈呈するとの 記事が掲載されていた。敬老の日が近いわけでもないのに、何故という疑問が わいたが、記事が目に留まったのも何かの縁と思い申請した。 結婚五十年目を迎える年月を生きてきたとは、我ながら驚きである。そして鏡 を見て、半世紀を経たことを知る。 このところ私は家を処分するための掃除に所沢まで通っている。関西から越して 来た二十五年前、家族五人が住める家。夫の専門書を納めるための書庫を庭に建 てられる家。花嫁家具が収納できる家として所沢に居を構えた。 子供たちが独立した後、夫婦二人の身軽になってからの家なら都内の便利なとこ ろにいくらでもある。私達は都内に居を構え、チャンスの多い都会生活にどっぷ りとはまっていた。 しかし、トトロの森や八国山に囲まれた、小鳥のさえずりがきこえる静かな所沢に、 いつかは隠居するつもりで、改造したり手を加えたり、いつでも住めるように していた。それ程思い入れが強い家だった。夫婦の桃源郷だった。 しかし、あっという間に月日が経ってしまっていたようだ。十四年が過ぎていた。 そして、自分達もとっくの昔に隠居の年齢になっていた。 住むことを考えたが、門から玄関まで階段が十二段もある。食料品の買い出しはリュ ックをしょって、住宅街のはずれまで、かなり歩かねばならない。桃源郷も月日が 経つうちにそうではなくなっていた。 子供達にも、住まないかと打診したが、親が期待する返事はかえってこなかった。 思い残すことは多々あるが、今この家を処分しないと、自身での処分は体力的にも きつくなることに気付いたのだ。 娘の幸せを願い婚礼家具をそろえてくれた両親をしのび、五十年の結婚生活に思い をはせ、「赤いサラファン」を口ずさみながら、思い出の詰まった家の整理に時を 過ごしている。