第 3850号2022.11.27
「留守番」
風薫る10月(ペンネーム)
今から30年程前のこと。 私は4年制の普通大学を卒業後、デザインの道を諦めきれず、専門学校生となった。 「今日は蟹が届くからよろしくね」と、母は出かけて行った。午後、宅配便が届いた。 長さ80センチ、奥行き30センチ、高さ20センチはあろうか、予想を遥かに越える発泡 スチロールの箱を抱えた業者の男性は、玄関に入るや否や「解凍が進んでいるような ので、急いで冷凍庫か冷蔵庫に入れてください」と言った。 急ぎ台所へ行き蓋を取ると、溶けかけた氷と水の中に堂々とした姿で1匹の鮭が横 たわっていた。この他にも魚が入っていたが、先ずはこの大物をどうにかせねばならない。 使った事もない出刃包丁を取り出し、勢いよくエラに振り下ろすが、スパッとはいかない。 ギゴギゴギゴギゴ、ガッガッガッ。 ようやく落とせた頭にしばし見惚れていると、「そうだ、記念に写真を撮っておこう」と閃く。 授業用の一眼レフには常にフィルムが入っていた。アングルを変えて数カット撮り終え、 胴体を切り分け冷凍庫へ。その他に手を付けようとした瞬間、インターホンが鳴った。 先程の宅配業者だった。 「すみません、お届けを間違えまして、こちらがお宅のお荷物でした」 抱えられた小ぢんまりとした箱を見て、記憶が蘇った。 「蟹が届くから」 頭が真っ白に。あたふたと解体ショーを終えたばかりの断片をパズルのように納め直し、 「あなたに急かされたから」という言い訳を添えて業者に引き渡した。先方へは直接電話での陳謝。 聞けば引っ越してきたばかりで近所に知人もおられないとのこと。 「これを機にどうぞ宜しくお願い致します」と言っていただき、心救われる思いだった。 数週間後、学校の暗室に入った。現像したモノクロのポジフィルムに、 撮り漁った課題用の無機質な画像に混じり、異質な物が写っていた。 ギラリと鈍く光る、鮭の頭だった。