第 3848号2022.11.13
「私と江戸時代」
金井 雅之
私は昭和32年に東京下町で生まれた。両親は大正生まれだが、母を早く亡く したので、明治30年生まれの祖母に育てられた。心根とは裏腹に、厳しさが 表に出る人で、食事時は、茶碗とお椀の配置や箸の使い方に始まり、はしゃ ぎすぎない会話や後始末にまでおよんだ。今になれば、衣食住が当たり前で ない時代を通ってきた祖母の美意識だったとわかるが、幼い私は常に緊張感を 強いられていた。それでも、私が魚をきれいに食べたり、煮魚の皿に残った 煮汁を飲み干したりするのを見たときは、珍しく相好を崩していた。 自分が子どもを育てるようになり、ある日、娘に食事の行儀の悪さを注意し ながら、はっきり自覚したことがあった。 「これは自分が言っているのではなく、祖母が私の口を借りて、見たことの ない曾孫に小言を言っている」 あの祖母と娘が時を超えて同居しているようで可笑しくなった。 そして、祖母も同じように、「これは自分が言っているのではなく、私の親が 私の口を借りて、見たことのない曾孫に小言を言っている」と思っていたと すれば、私は、江戸時代の人の小言を聞いて育ったことになる。 「江戸時代の人の声を聞きながら、平成生まれの子を育てている」 まさに時代のはざまに立っていることを実感した。 高校生のときだった。土曜日に学校から帰ると、玄関に祖母が立っていて、 「そこの藪でもりでも食べてこい。1枚じゃ足りないだろうから」 と言って、十分なお金を渡された。お金には特に厳しく、駄菓子を買う 小遣いを持って出ることも許さなかった祖母が、普通の昼にわざわざ 蕎麦屋へうながしたことに、驚きより違和感を覚えながら言われるままに した。夜、いつものようにテレビを見ながら脳卒中で倒れ、そのまま逝った のはそれから間もなくのことだった。折に触れて聞かされていた祖母の小言 がある。 「蕎麦はモグモグ噛んでないで、2~3回で威勢よくすすれ。1回でズッだと 鼻水みたいだ」