第 3847号2022.11.06
「池袋・新宿・渋谷」
笹間 茂
東京の山手線は今も昔も変わりなく走り続けている。その駅ごとにそれぞれの 表情があり面白い。中でも池袋・新宿・渋谷の三つの駅は、山の手のターミナ ル駅として毎日膨大な人が行き交っている。子供の頃、東京で育った私にとっ ては色々な思い出もこもった街である。 私の母方の祖父母は太平洋戦争の末期の3月に空襲に遭い亡くなった。墓所 は池袋から都電で二つ目の停留所を降りて、ほど近い雑司ヶ谷墓地に有った。 子供の頃は一族でよく墓参りに行ったものである。まだ寒い時期で、悲しい思 い出と重なって、沈んだ情景ばかりが蘇る。池袋はその後大発展を遂げたが、 私とって池袋はうら寂しい、悲しい街である。 私の母方の祖父母の家は大久保にあり、今行くと歌舞伎町に近い所で、明治 通りに面した大きな家であった。この家は空襲の危険が大きいと言うことで 手放してしまい、疎開した先の井草で祖父母は爆撃に遭ったのである。大久保 は、昔は閑静な住宅街で小泉八雲や平沼騏一郎の邸宅も有ったという。今の 歌舞伎町付近に都電の車庫があり、新田裏と言った。母はこの車庫の脇を 通って女学校に通ったという。新宿は、私にとって怨念の街である。 私の両親は、結婚後に渋谷の猿楽町に新居を持った。父の妹夫妻もこの近く に住んでいた。代官山駅に近く、今はおしゃれな街として高級なブティック 等が軒を連ねているが、当時は寂し気な所であった。渋谷は読んで名の通り 谷底で、坂の多い街でもある。父は夜中に、この坂道で強盗に襲われて財布 を盗られた。私は、夕暮れになると叔母と一緒に渋谷駅まで父を迎えに 行ったこともある。この頃、渋谷駅は忠犬「ハチコウ」で有名であった。 昔から東急デパートの前は賑やかで、ここに「ハチコウ」も迎えに出ていた らしい。叔母に言わせると決して見栄えのいい犬ではなく、みすぼらしい、 汚れた犬であったという。渋谷は私にとって、幼児期を懐かしむ郷愁の街で ある。