第 3839号2022.09.11
「スタンプカード」
中瀬清
その床屋に通ってもう二十年以上になる。 会社の帰りに立ち寄っていたが、退職した今でもわざわざ電車に乗り通い続け ている。 毎月一回、一時間鏡の中の付き合いだが、店主との何気ない会話はいつも面白く、 心地よい気分にさせてくれる。 先日の話 「この間、大きな荷物を持った初めてのお客さんが来たんです。ただね、あま り髪が伸びていないんですよ。むしろ散髪を終えて日が経っていないようでし た。そしていきなり店のスタンプカードを出して『これ使えますか』って聞く んです」そのスタンプカードは最後の一個だけが押印されずに残っていた。 「いいですよ、もちろん使えます」 ということで、その客は散髪することになった。 「お客さん、あのカードどちらの方が使用していたんですか」 「実は父が亡くなり遺品の整理をしていたら机の中に置いてあったんですよ」 「あのー、ひょっとしてAさんですか」 Aさんは長年通ってくれた常連客だった。 店主は息子さんを見た時すでに、Aさんの面影を見ていたのである。 Aさんはきっと最後までスタンプカードを使い切りたかったのだろう。それか ら二人はAさんの思い出話で大切な時間を過ごした。 その客はもちろんカード満了の割引サービス五百円を利用した。 「このカードいただいてもいいですか」 息子さんはAさんとはしばらく会っていなかったようで、父と一緒にポイント ゴールして少しは気が晴れたに違いない。男同士年齢とともに会話が遠くなる こともある。 「これで区切りを付けて東京に帰れます」 大きな荷物を持って帰っていった。 その話に私は散髪後、頭も心もさっぱりした。