第 3835号2022.08.14
「大暑」
岩部 隆明
湖畔の山荘では、カナカナとヒグラシの鳴き声が響き合い、森にこだまして いた。夕方、涼風が吹き始めるのを待って、庭の山茱萸の下に椅子を持ち出 し、家内とコーヒーを飲んでいた。ふと山茱萸(サンシュユ)の枝沿いに目 が誘われていき、羽化中の蝉を確認した。それは半透明の茶色の殻から抜け 出る最中の瑞々しく鮮やかな薄緑色のミンミンゼミであった。蝉は前足を出 しているところだった。続いて中足を出した。するとしばらく動きを止め、 休んでいる様子であった。コーヒーを飲みながら次の動きを待っていると、 再び活動を開始し始め、後足を出し体が完全に殻から抜け出た。そして殻に 前足と中足でぶら下がるようにつかまった。背中には小さく縮んだ薄緑の羽 があったが、陽が落ち始める頃には、みるみるうちに大きく広がり始め、 どんどん透明度を増し、輝きを増していった。家内がためらいながら慎重に 一枚の写真を撮った。画像再生すると、蜩の複眼の後ろに、外敵を威嚇する かのように目玉模様があることに気づいた。その頃には二人共、蚊の攻撃を 受けていることに気付き、止むなく一度家の中に入ることにした。 夕食後、懐中電灯を持って出て行くと、蝉は全く同じ姿勢であったが、緑の 深みを増し、羽はますます透明になり、張りが出てきて、光に反射して きらきらと光っていた。 翌朝、山茱萸の枝には半透明の茶色の抜け殻だけがあった。その抜け殻の ついた枝を折り、一輪挿しに挿し、書斎のデスクに置いた。 翌々日、ミンミンゼミが一斉に鳴き始めた。大暑である。