第 3828号2022.06.26
「父からの蕾菜」
斉木 紀久子
父は農業改良普及員という仕事柄か、様々な品種の野菜を作っていた。今で は日常に見かけるチンゲン菜やタァ菜、五色菜やワサビ菜等、私の子供の頃に は目新しい野菜だった。友達は高校生の時、私のお弁当に入っていたカワイイ 星形の野菜を見て、初めてオクラを知ったと、最近になって話してくれた。 結婚して遠くに暮らす娘に、父は季節の野菜をたくさん送ってくれた。八十 歳前になってから蕾菜が届くようになった。桜が散り菜花も終わる頃、握り拳 のような形の蕾菜は、スーパーではあまり見かけなかった。父からのそれは、 炒めても天ぷらでも和えものでも、優しい甘みがあってとても美味しかった。 デパートではハウスものなのか、春先に時折目にするが、ほんの二~三個で結 構な値で、なかなか買う気になれないでいた。 父が亡くなって昨年、時々立ち寄る農協の直売所で、何と蕾菜を発見!!一袋 に大小五~六個も入って格安値。私は嬉しくて並べてあった五袋を全部買おう かと迷っていた。その時知らない奥様が、私の抱えている蕾菜を見て「それは 何ですか」と尋ねて来られた。調理法やデパートでの高値も伝えて「とっても 美味しいですよ」と一袋お分けした。奥様は「初めての野菜なので楽しみに頂 いてみますっ」と嬉しそうに買って行かれた。 何年かぶりにたっぷり食べた蕾菜は、やっぱり美味しくて父を想い出す懐か しい味わいだった。その後何度も直売所に足を運んだが、あれ以来一度も見か けなかった。お店の方に尋ねたら「あれはあの日だけ本当に一度だけの入荷だ ったのですよ。」とのこと。 偶然の巡り合わせに、九十二歳で逝った父が私に、好物の蕾菜を届けてくれ たのではないか…そんな想いになった。見つけた時の嬉しさと父のいなくなった 切なさとの味わいは、今もほんわか心に残っている。露地野菜が増える頃、 今年も直売所で蕾菜に出会えますように。父が届けてくれますように。