第 3818 号2022.04.17
「携帯電話」
昭和のパパ(ペンネーム)
最近、携帯電話の値下げの話題をよく耳にする。値下げをするという事は多くの 利用者がいるという事であり、 高くてもいい、便利だからほしいという時代は終わったのだ。 確かに携帯電話は当たり前になり便利という事すら感じさせない存在になってし まった。 昔話になってしまうが、私の青春時代にはこのような便利なものはなく、一家に 一台の固定電話の時代である。 多くの家庭において電話はリビングなどに置いていたと思う。そして大体、リビ ングには家族がいたのではなかろうか? 青春時代、私にも彼女ができた。学校や帰り道でも話はするが家に帰ってからも 話がしたい。話をする手段は電話しかない。 しかし、かなりの勇気がいるのだ。電話をしたら彼女のお父さんが電話に出た、 すいません、間違いましたと幾度となく切ってしまった。 それからは彼女と昼間、電話をかける時間の打ち合わせをし、その時間にかける と彼女が電話に出てくれるという作戦だ。 しかし、リビングには家族がいるので長い電話線に変えて、自分の部屋までひぱ っていった思い出がある。 ある時、彼女と駅で待ち合わせをした。約束の時間になっても来ない、1時間以 上待ち続けたが来なかった。 翌日、彼女を攻めてしまった。しかし、彼女も時間通りに駅にいた。ただ、いた 場所が北口と南口だった。すぐそばにいたのに二人は会えなかった。 今では考えられない光景である。携帯電話で連絡をすれば何の問題も起きないの だ。 たかが電話であるが、私たちにとって電話だけでも多くの思い出が作られ今でも 心のアルバムに残っている。 それは、便利な携帯電話というものが存在しなかったからである。その分、昔は 多くの思い出を残すことができた。 近年、色々なものが便利になり進化してきた、しかし、心のアルバムへ残す思い 出も減ってしまったのではないだろうか、それとも思い出自体が 時代に合わせて進化してしまったのか。 携帯電話が鳴った、緊急の要件であった、やはり便利だ。