第 3815 号2022.03.27
「新生活の愁い」
匿名希望
スーパーで八朔を買った。2つで300円くらいだった。 初めて訪れたお店の中をキョロキョロしていたら好物が目に入り、ついつい手が 伸びてしまった。 母の実家が(規模は小さいが)柑橘の栽培をしている関係で、幼い頃から柑橘をた くさん食べて育ってきた。子供の頃は段ボール1箱分をひとりで平らげたりもし たが、飽きることはなく、いまでも柑橘全般は大好物だ。 この時期になると祖母が八朔を剥いてくれた。祖母の家を訪れると、帰り際に剥 いた八朔をいっぱい詰めた大きなタッパーを2つ3つ持たせてくれた。 年季の入ったナイフでするすると剥いてゆくのは見ていて楽しかった。次第に部 屋いっぱいが良い香りで満たされ、どんどん食べるのが待ち遠しくなる。薄皮も 器用に取り除かれて纏うものがなくなった果肉は鮮やかに艶めいていて、ありき たりな表現だけれど、宝石のようだった。 静かな部屋でひとり黄色の果実と向き合う。 鼻先を寄せてみると、皮越しでも爽やかな香りが鼻腔を擽った。 祖母の手元を思い出しながら、真新しいナイフを見よう見まねで動かすが、これ がなかなか難しい。りんごの1つでも実家で練習しておくんだった。 ようやっと皮が外れたと思えば、今度は多めに残ってしまった白い部分をちょこ ちょこ除く作業が始まった。 ひとりでそうやっていると、何だか寂しくなってきた。 部屋が静かすぎる。 私以外の音も温度も無い。 引っ越してすぐのまだ生活感のない六畳半の箱の中はすぐに甘酸っぱい香りで満 たされたが、それに反比例するように私の中には隙間が生まれていった。 大学進学を機に何もない田舎を出て憧れの東京に来た。 ここには足りないものなど無いと思っていた。 しかし、そうでもないらしい。 これがホームシックかとぼんやり考えながら、ようやっと剥き終えた不恰好な八 朔を独り食べた。