第 3782 号2021.8.8
「8月15日」
青い空(ペンネーム)
間もなく8月15日が来る。今年は76回目の終戦記念日となる。戦後生まれの私は、 終戦記念日としてその日を実体験として、想うことはなかった。私が8月15日の その意義を深く記憶にとどめさせられたのは、ロサンゼルス小児病院で仕事して いた時の夏。「そういえば今日は8月15日、日本では終戦記念日だ」と、私の言 葉に韓国からの友人はそっと微笑んで「その日は韓国では独立記念日なんだ」と 反応した。私はどの国から独立とは聞けなかった。病院では、多くのアジア人が 医療従事者として仕事をしていた。その時いらい、8月15日は私には日本の終戦 とともに、隣接したアジアの国々への想いの大切さを知る、大切な記憶すべき日 になっている。 私には、さらにもう一つ大切な8月15日がある。 1972年、医学部3年生、21歳の夏。リュック背負ってヨーロッパ一人旅をし、念願 のオーストリアのザルツブルグにたどり着いた。ザルツブルグでは毎年夏にザルツ ブルグ音楽祭が開催されていた。そして、幸運にも8月15日の午前のウィーンフィル のコンサートのチケットをゲットした。コンサートでは隣り合わせた青年と親しく なり、コンサートの深い感動を共有した。コンサートが終ると、カフェに行こう 美味しいケーキがあるからと誘われた。彼はザッハトルテを注文した。チョコレー トケーキの王様と称されると後で知った。彼がケーキの支払いをしたので、私が 「割り勘で」と、「ならアイスクリーム食べよう。それを君が払うのでいいじゃな いか」と青年が言った。その言葉になにか心から温かい気持ちを感じた。しばらく カフェで時間を過ごし、住所を交換した。彼はLuca.ミラノから夏の間ザルツブルグ の別荘に避暑にきていたことを知った。 帰国するとすでにミラノから手紙が届いていた。それから、約8年以上文通が続いた。 スカラ座の公演などの演奏を録音したカセットも時折同封され、日本にいながら 素晴らしい演奏も楽しむことができた。 この厳しい夏、8月15日を前に、もしかしたらとインターネットで検索してみた。 何人ものLucaから1人に、Lucaと確信できる何かを感じてメールを送ってみた。 一日を経ずに返信が来た。あれから47年、青年は壮年となり、クラシックの音楽の サイトを立ち上げていることも知った。そして、彼と巡り逢えた1972年の8月15日 が大切な記憶の日と蘇り、Lucaとの再会は、残された人生の大きな楽しみとなった。