第 3765 号2021.4.11
「オオイヌノフグリの魅力」
畔上 充子
娘がよちよち歩きの頃、足元の蟻の行列に見入ったり、雑草の群に咲く 野花を指さしたり、ゆっくりゆっくりの散歩を強いられた。娘の人生の中 でも最も好奇心旺盛な年齢でもあったが、短気な私は、先ずは母親として の成長を求められた。ここはエンデの「モモ」のような時間の感覚を身に つけながら子育てを楽しむことにして、植物図鑑を片手に野花の名前を片 言の言葉を発してきた娘と一つ一つ覚えていこうと思った。娘が幼稚園に 入る頃には、自分達の友達が増えるように野花の栞の押し花も増えていっ た。その中でも、一際、私が魅力を感じた花がオオイヌノフグリ。名前の 意味からは掛け離れた佇い。綺麗なブルーで小さくて、一見弱そうに 見えてコンクリートの割れ目からも都会の道端の隅でも凛々しく咲き誇っ ているのを見つけると元気をもらう。春が来たお知らせのように清楚だけ れど逞しく咲いている。世界で一つだけの花という歌の歌詞の様に、花屋 の店先には絶対に並ばないが、私はこの花に年を重ねる程に愛しさを感じ、 春が近づくとつい道端や雑草の中に、娘とゆっくり歩いた思い出を浮かべ つつ、その姿を探してしまう。雑草と一緒に刈りとられてしまったり、 名前も知られず、人にも愛でられず、ただそこにいるこの花に自分の人生 を重ね合わせ、私は勇気をもらってきた。十八年続けた学童保育の仕事の 中で異動や退職の節目で、一人一人のかけがえのない子ども達にこの花の 魅力を話して、胸を張って自分の花を咲かせてほしいと、その成長を祈っ てきた。そして、娘とのゆっくりの時間がなければ、この花の名前も一生 知らなかったと思う。子育てがくれたプレゼントに感謝している。その娘 ももう三十歳になった。 私は今、障害者の方々と生活する仕事に飛び込んだ。ここも一人一人 が小さな花を咲かせている素敵な場所だ。オオイヌノフグリと重なるそれ ぞれの姿に、私はありがたくも穏やかで確かな幸せをもらっている。