第 3762 号2021.3.21
「春の旅」
ひよこ(ペンネーム)
三月の下旬、親子でポルトガル共和国を旅した。北部のヴィアナ・ド・ カステロという街から南下してオビドスという小さな村へ鉄道で移動してい たとき、うっかりして途中の駅で降りてしまった。次の列車の時刻まで、約 四時間以上の待ちぼうけをくらった。見渡す限り、草原の中に民家ばかりが ポツリポツリと散らばっていた。この無人駅で一体どう過ごすのか母親と 戸惑うばかり。太陽が沈むまでには時間がある。見知らぬ地は怖いが、思い 切って線路を降りて散策してみよう。 歩いていると、やっとお店らしき建物を見つけた。中に入ると、店内には 手作りのレースが天井いっぱいに飾られ売られている様子。腰をかけていた 店の女主人はふくよかな体型をしていて、ちょっと白髪混じりの人だった。 小さなカウンターもあるので、「カフェは飲めますか?」と身ぶり手ぶりで 彼女に伝えると、初めは東洋人に慣れていないのか大層驚きの顔を見せたが、 シィシィ(ポルトガル語でイエス)と、微笑みながらうなづいた。ポルトガ ルに来てからよく飲んだガラオン(ミルクコーヒー)を注文した。ホッと安 堵している中、女主人に現地の言葉で声を掛けてもらった。親子二人で日本 から来て九日間の旅をしていること。今日オビドスへ行こうとして、この駅 で降りて次の列車を待っている間に貴方の店を偶然に見つけたこと・・・・ ・・。彼女とアイコンタクトをしながら、笑い合って何とか言葉を交わした。 そんな小さなやり取りをしているうちに、あっという間に時間が過ぎていっ た。列車の時刻が近づき店を去ろうとすると、彼女はカフェのお代を取ろう とはしなかった。自分の胸に両手をちょこんと当てながら、私からの気持ち だから受け取ってと、言わんばかりの素敵な仕草をしてくれた。 今となっては、どこの駅で下車して、どの辺のカフェで飲んだのかも覚えて いない。ただ、まったりと一杯のカフェで心温かい瞬間(とき)を過ごせた 有難さだけが記憶の片隅に深く刻まれている。あの一杯のコーヒーを思い出 すたびに、あぁ、またポルトガルを旅したくなる。