第 3751 号2021.1.3
「赤いリュックサック」
M・A
父は小学校の教師をしていた。 あまり具体的な話を聞いたことはないけれど、案外、生徒に慕われていたよう な気がする。 それは、年賀状の数から推し量ることができた。 母も教師をしていたが、友達を作るのが得意だったせいか、同僚や保護者から の年賀状が目立ち、達筆な楷書で宛名が記されていたことをよく覚えている。 けれど、父の年賀状は圧倒的に生徒からの年賀状が多かった。 宛名は鉛筆書き。「あけまして」から平仮名のオンパレード。干支が馬なのか 犬なのか判別できず、思い返すだけで微笑ましい。
あれは、私が小学校の高学年の頃だった。 部屋で本を読んでいたら、父に尋ねられた。 お前が使っていたリュックサックを、生徒の一人にあげてもよいかと。 赤いビニール製のリュックサックで、ポケットには女の子のイラストがついて いた。 大人の領域へと背伸びを始めていた私は、そっけなく「いいよ」と答えた。 父が安堵したことは、その表情から伝わった。
義務教育でありながら、子どもにはこまごまとした出費がかかる。 当時の日本は、豊かな国を目指して全力疾走していた。けれど、時代の波に乗 りきれず、こぼれ落ちた家庭も確実に存在していたのだ。 赤いリュックサックには、父の文字で私の名前が書かれていた。 父は、マジックの文字を消すことができたのだろうか。 遠足の列に加わり、うれしそうに歩く女の子を想像しながらも、そのことばか りが気にかかる。