第 3747 号2020.12.06
「妻の朗読」
後藤 順
地元劇団のベテラン女優さんたちによる朗読会を聴きにいった。市民会館の 小会議での殺風景な場所ではあったが、その見事な語りに、からだが打ち震え る思いにとらわれた。言葉がからだに沁みるということかと感じいった。緩急、 強弱、間合など、長年演劇で培われた表現力が見事に発揮されていた。消え入 るような小さな声も効果的に使われて、心がぐぐっと引きこまれていった。 朗読が終わると、希望者を募って技術指導の時間が設けられた。朗読は単に 声を出せばいいものではなく、かなりの技法と練習を重ねないと、なかなか ここまではいくものではないと納得させられた。 朗読の声は毛穴を奮い立たせる。まずは意味をなぞり、つぎに意味を超えて 人の気持ちを揺さぶる。声が人のなかに入ってくる。朗読された小説なり詩の 世界が、頭で解っている以上に、からだで納得できるということがわかってき た。 この朗読会で何より感激したのは妻だった。かつて子どもたちに童話を読ん だ記憶が蘇ったのか。朗読すること自体にどこか心地よいものがあり、内へと 塞ぎがちな自分のからだを大きな声とともに開きたい。別の思考法、別な感じ 方を住まわせることで、自分の凝り固まった想いをほぐしてみたい。妻のそん な思いが、朗読ボランティアの活動に参加させた。 家事を済ませ、縁側から空に向かって朗読の練習をする妻が輝いてみえる。 ときに聞き入ってしまう。まだまだあの女優さんたちの域には達してはいない が、小学校や老人保健施設で朗読する妻の姿を想像すると、こちらまで鳥肌が 立つ。どんな声で、どんな口調でというより、誰かに言葉を届けること、その 息を確かに伝えることが、それ以上に大切なことではないか。