第 3744 号2020.11.15
「優しい匂い」
野原 圭
子供の頃、服地の問屋を営む家の友達と仲良しで、よく遊びに行った。 直径100㎝、幅150㎝くらいの筒状に巻かれた重さ数十㎏の生地が天井近く まで山積みされた場所は、かくれんぼにはうってつけだった。 ある日私が頂上によじ登り、すぐ下に友達が二人並んで「もういいよ」と 言おうとした瞬間、私の足下が崩れ、二人は何本もの生地もろとも横倒しに 落ちていった。山崩れを起こした生地は洋服ダンス二つをなぎ倒し、タン スの引き出しが飛び出て中身は散乱した。さらにタンスは前に置いてあった 炬燵の足を折ってしまった。 幸い誰も怪我はなく、この惨状を戻そうとあがいたが、子供の力ではどう にもならず、お母さんを呼んだ。言い訳のしようもなく、当然、厳しい叱責 を覚悟した。すると「あんたら怪我なくてほんとに良かったなあ。お芋ふか してあるからそれ食べてきょうはお帰り」と、怒るどころか青い顔で私達を 気遣った。湯気の立つさつまいもをほおばると、ほわりと甘い匂いが、 ショックと申し訳なさに凍り付いた心を溶かしてくれた。 私は叱られるのが怖くて親には話せず、改めてお詫びも弁償もしなかったが、 その後もお母さんは何事もなかったように優しかった。 大人になり、あのとき誰かが亡くなるか大怪我をしていたら、と思うと背筋が 寒くなり、一言も叱らず、私の親にも黙っていてくれたお母さんの心の広さに 気づき、改めてお詫びしたら「そんなことあったかなあ」と笑っていた。 その人が、穏やかにあの世へ旅立った、と友達から連絡がきた。彼女は お母さんから一度も「怒られた」ことがなかったという。 ふかし芋のほっこりと甘い匂いは、子供たちの無事を何より気遣い、すべてを 許してくれた優しさと、心を正しく導くのは「怒りと叱責」よりも「寛容」で あることを思い出させてくれる。