第 3742 号2020.11.01
「バスを待つ」
M・A(ペンネーム)
運転免許を持っていないので、どこへ行くのもバスを使います。本数は多く ないために、ぼんやりとバス停で待つことがあります。けれど、その時間を 私は嫌いじゃありません。 むしろ貴重なひとときに感じられます。 時折、足元に煙草の吸い殻が散らかっていることがあります。誰かがそのま ま捨てたのでしょうね。 次に訪れた時には、きれいに掃き清められています。 誰かがこっそり片付けているのです。 バス停には、さまざまなデザインのイスが置いてあります。 元は学習机とセットだったらしい車輪付きのイス。 キッチンに置いてあったような椅子は重厚な木製。 誰が設置するのでしょうね。時々、入れ替わります。 いつもの見慣れた風景の中で、ひっきりなしに人と車が通ります。 けれど、何も見てはいなのです。瞳に映ってはいても。 ただひたすらに、空白の時間に浸っています。 格好いい言葉で表せば、「物思いに耽る」でしょうか。 子どもの頃、どうして大人が温泉に行きたがるのかわかりませんでした。 温泉なんて、つまらないのに。お風呂に入ったら、ぼうっとテレビを見て るだけ。 それが至福の時間であることを知ったのは、結婚して子育てを経験してから。 大人になると、義務や雑務で自分の時間が埋め尽くされます。 「何もしなくていい時間」こそが、最大の贅沢なのです。