第 3740 号2020.10.18
「無題」
川田 祥世
今日、娘がつかまり立ちをした。プラスチックのベビーゲートにつかまって、 5秒、ニコッと笑って見せた。この喜びを留めておきたくて、日記を広げる。 日記なんて、社会人になってからは机の奥にしまいっぱなしになっていた。 それが今や、9時のミルク、14時の昼寝、今日の離乳食、さつまいもとりんご …些細なことを書き連ねる。それは、育児を手伝ってくれる私の母から 「不思議なものやな、大変な時期は忘れやすいんやで」と言われたからである。 母は、私たち3姉妹を実家から遠い土地で育てた。父は定時制の高校で働いてい たから、今で言うワンオペ育児だったし、妹が生まれる頃には祖父の介護まで あった。私は自分自身に娘が生まれて初めて、そんな母が新米母だった頃の話を 聞くことになった。 知らない土地で夫の帰りを幼子と二人で待った心細さや、祖母がなくなり、 元気をなくした祖父と同居し始めたころの気苦労。私は、私自身が母になって 初めて、母がどれだけ苦労をしていたのかを思い知った。でも母は、「細かい ことは忘れたで。みんなの寝顔を見てた、幸せな気持ちは忘れへんけどね」という。 「それは私も最近知ったよ、お母さん」と答える。寝息を立てる我が子の寝顔を 眺めた時の、心の底から幸せがふわっと沸き起こってくる、穏やかで満ち足りた 感覚。この感覚を母は、私の寝顔を見て感じてくれていたのかと思うと、嬉しいよ うな恥ずかしいような気持ちになる。そして「ありがとう」といわずにおれない。 きっと私も30年後は、今の日々のほとんどを忘れているだろう。この寝不足な毎日 も、夫の帰りを待つ孤独も、きっと穏やかな記憶の波に飲まれてしまう。それでも、 今触れることのできる幸せを留めておきたいと思う。そして、私の娘が大人になった 時に教えてあげたいのだ。今のお尻が桃みたいにかわいいこと、彼女の笑顔が私の力 となっていること。だからこそ、今日も、明日も、母はせっせと書き続ける。