第 3738 号2020.10.4
「庭の柿の木と競り合う」
仲途帆波(ペンネーム)
庭の片隅に一本の柿の木がある。この市に移り住んですぐに、亡父が 若木から育てた甘柿「次郎」で樹齢は45年、幹の太さは1メートルもある。 妻の10年日記によれば実が成り始めたのは、10年目くらいかららしい。 それが平成6年に550個、翌7年は885個と増え、到底家族親戚では食べ切れ ないので知人に配って、日頃のご無沙汰を凌いだ。最盛期には1000個を大 幅に越えた。 それまで柿は会津の親戚から届く「見知らず」しか知らなかった私は、 焼酎で醸しその渋みを抜いたこの柿を、どうにも好きになれなかった。 ところが我が家の次郎は、完熟するまで取らずに置くと、その美味たる や正に眼から鱗だった。我が家ではその後柿は買ったことがない。 差し上げた人たちからも「こんな甘い柿は食べたことがない」と褒めら れた。 ところが柿にも寿命があるのか、7~8年前からまるで成らなくなった。 そして昨年はゼロ、そこで最後の望みに植木屋さんに剪定してもらった ところ今年は3個成った。一つは「木まもり」とする。来年はもっと実っ てほしいとの祈りとも、自然に対する一種の礼節ともみられるが、命名 は千利休説がある。 一つは毎年楽しみにやって来る小鳥用、残る一つは妻と分け合うか。 さて80歳代半ばになった私は、残る命をこの柿と競り合うのだろうか? 考え直せば実が成らなくなっても柿の木は、相当長く葉を茂らせるだろう。 だから寿命は柿の方が間違えなく長い。それでよいのだ。 友よ、私に代わって我が家の行く末を、じっくり見守ってもらいたい。