第 3694 号2019.11.10
「 たのしいごはん 」
たさかゆき(ペンネーム)
仕事が終わるとまず電話。「これから帰るよ」「あらそう。気を付けてね」「何か買って帰るものあるかな?」「明日のパン、少しはあるけど念のために買ってきて」「わかったー」
同居する母は認知症だ。言った先から忘れてしまう。でも電話には出たし、元気そうな声だ。パンの買い置きがあることはわかっているけど、まあいいや。まずは一安心。急いで帰ろう。
学校を卒業してからずっと仕事をしてきた。結婚して子供が生まれてからも母が近くにいてくれたから、仕事が続けられた。子供たちも成人して、これからの時間は自分のために使ってほしいと思っていた矢先、母は認知症になった。いろんなことが出来なくなったけれど、なんとか自分自身と折り合って、機嫌よく過ごしている。多分、私が留守の間も、あれこれ悩んだり、困ったり情けなく思ったりしているのだろうが、まずは元気に電話に出る。
これまでと同じように。自分は大丈夫、あなたは疲れていない?大丈夫?早く帰っていらっしゃい、ご飯があるわよ、という感じで。
介護をしていて悲しいことはいくらでもある。くたびれもする。でも「大変でしょう」とひとくくりにされるとちょっと違うな、とも思う。なんとなく幸せなのだ。誰かに気にかけてもらえている実感、とでもいうのだろうか。60に近くなってもまだ心配してくれる親がいるのは何ともありがたいことだと思うのだ。
「このお魚初めて食べるけどおいしいわね」「そう?お母さんよく作ってたやつだよ」「そうだったかしら、うふふ」なんて話しながら楽しくご飯を食べられる限り、私はずっとこの人の「娘」を楽しませてもらおうと思う。