第 3691 号2019.10.20
「 びわ湖畔にて 」
安藤 タエコ(滋賀県高島市)
三年前、名古屋からびわ湖岸に、舟好きな夫の強い希望で転居した。引っ越す前の二年間は、名古屋とびわ湖の家との行き来が続いた。
名古屋からびわ湖に向かう時の心細さといったらなかった。夜、高速道路を降りた途端、周りはどんどんと暗くなる。見えるのは月明りと、所々ぽつんぽつんと見える集落の明かりだけ。それ以外は真っ暗闇だ。近江米の産地でもあるからだろう、見渡す限り水田が続いている。こんなに人がいない所で生活をするなんて考えられないと思った。
豪雪地帯ではないが、年中山々からびわ湖に吹きつける風は気まぐれで、おまけに冷たい。まぁ、あれもこれも春から夏にかけて、山からびわ湖に吹き抜けるあの爽やかな風と、初秋から初冬にかけて頻繁に現れる美しい虹との、引き替えなのだと思う。そして、満月、びわ湖を照らす薄明りの月光。湖面に写った月が、さざ波に揺れながらキラキラと光るさまは、幽霊の世界そのものだ。
この頃は、居間から眺める山々を見て、今日一日の天気がわかるようになった。
それに、近所の皆さんとも親しくお喋りも出来るようになったし、友達もできた。
「こんな田舎に、都会からよく引っ越してきたねぇ、田舎暮らしはどう?」
と地元の人たちから聞かれる。私は今があることに感謝の気持ちを込めて
「住めば都ね」と答える。
けれどいまだに、湖岸を散策しながら、自分はどうしてここに居るのだろう、と夢を見ているような不思議な気分になる。
もうすぐ七十路という、双六ならばもうすぐゴールという年齢になって、振り出しに戻って一からスタートせねばならなかった私の人生に、なんだかポカンとしてしまうのだ。だがそれも悪くはなかったと、この頃思う。