第 3681 号2019.08.11
「 幼児服売場で 」
山下 要子(宮崎市)
私が目的の品を買う時には、大抵同じ所でタクシーを降り、カートを押しながら幼児服売場の傍を通り抜けて行くことになる。
そこにはメーカー別、男女別、サイズ別、用途別に靴までも、着せ替え人形用さながらのカラフルな服が所狭しと並んでいる。
既に幼い者とはすっかり縁の遠くなった私でさえ思わず足を止めて見入りたくなる位だ。
うちの子供達の幼かった昭和三十年代には、まだまだ既製服は少なかったし買えもしなかった。私は手持ちの布を組み合わせたり、自分の服を仕立て直したりして着せていたものだから、長女は時折タンスを覗いては「チュギハ ドレデ チュクルノ?」と真剣な眼差しで聞くので、思わず吹き出したこともあった。どの服からリフォームしても地味なことに変わりはないので、仕上げに刺繍やアップリケを施したり、白い衿を付けたり、と工夫したものだった。
さかのぼって戦時中は、もう布が無かったこともあるが、何より鮮やかな色の物は上空の敵機から目標にされる怖れがある為、敢えて地味な物を着せていたのである。
逆に今日では、交通事故から身を守る為、目立つ色を着せたり持たせたりしている。幼児服は時代を映しているとも言えよう。
戦前、戦後に少女誌を飾った中原淳一氏の各段に垢抜けた子供服のデザイン画に憧れ、「いつかはこんな服を作ってみたい」と夢見ていたが、実際にはそうはいかなかった。
いずれにしても、子供服の売場はそのフロアを華やかにしている。平和な世の象徴とも言えるのではなかろうか。
どうかこの様な売場から品物が消える日の来ないように、と戦中派の人間は願うのでした。