「 レモン色のワンピース 」
安藤 順(ペンネーム)
衣替えにうってつけの、卯の花が白くまぶしい日。
半袖のブラウスのボタンが取れていたので、久しぶりにお針箱を引っ張り出した。
針を持つ手を動かしていると、必ず母を思う。
昭和二十年代、庶民の一般家庭に冷蔵庫洗濯機テレビなどの家電も、車も電話もなかった。幼い頃それらが次々と我が家にやってきたときの心躍りを忘れないが、そんな時代にも先駆けて脚踏みミシンのある家庭は多かったようだ。縫い物は主婦の日常だった。
母は八十三歳で他界する前の年まで、夏の普段着のワンピースを毎年縫って送ってくれた。木綿のごくシンプルなワンピースだけれど、色とりどりの花柄や縞、水玉模様が涼しげで、実際母のワンピースより涼しいものはなく、ポケットも付いて便利。昨日は青い小花模様、今日は藤色のペイズリーと大活躍してくれた。
今年の柄は少し地味ね
重宝しているのに憎まれ口を言ったこともある。
今度素敵な柄の生地を見つけたから送るから縫ってね
そうは言いつつ一度も送ったことがなかった。母好みのあっさりした清楚な色柄は結局私好みだったのだ。
会う人ごとに素敵なワンピースねと誉められた。母の手製と知り目を丸くして驚いてくれるのも嬉しかった。電話で伝えると母の声も弾んだ。
目が疲れてね、これが最後。
もう十分。今までありがとうね。
そのくせ次の初夏にはまた縫ってくれた。晩年は片目の視力がほとんどなかったのに。
最後の一枚はレモンイエロー。白いチャコペンのしるしを逸れては戻る縫い目のワンピースは、洗濯を繰り返しすっかり色落ちしてもう着られない。
歳を重ねた今の私だから、身体の不自由さも、娘への想いも、母になりきったようにわかる。
箪笥の引き出しにそっとしまったワンピースを衣替えに取り出すことはもうない。
けれど私の心の引き出しを開ければ、母のワンピースはいまも鮮やかなレモン色に輝いている。