「 梅雨の晴れ間 」
熊谷 貴美子(福岡市)
梅雨の晴れ間の午後遅く、クリーニング屋から洗濯の仕上がった衣類を抱えて通りを折れると、夕日が空を明るく橙色に照らしていた。四つ角で右手から来る親子連れが私と同じ方向に曲がった。その途端幼い女の子が驚きの声を発した。「うわー、夕焼け、夕焼けなの」その可愛い声で私も思わずそちらを見た。
「夕焼けってどうしてできるの?」立ち止まりそうになる三歳位の女の子はママに手を引っ張られている。パパは乳母車を押している。「ねえ、ねえ、夕焼けって、どうして?」生まれて初めてこんなにきれいな夕焼けに対面したかのような女の子はなお大きな声でママたちに訊いているのだが、パパとママは会話中で女の子の質問は聞こえていないようだ。私はその疑問への答えを自分のなかに探しながら歩を進めた。これは簡単に答えるにはなかなか難しい問題だ。地平線に沈みゆく太陽の光が、真上にあるときの日の光となぜかくも異なっているのか。赤や青の色の波長の違い、光が大気層を進む距離の違いなど昔の知識の断片が頭の中を駆け巡るが、孫に突然訊かれたら私はすぐに回答できるだろうか。幼児にも理解できるような説明ができるだろうか。できない、ということがわかって少々愕然とした。孫はまだいないのだが。四人の親子は夕日に包まれて真っ直ぐ歩いて行った。
数日後、通りを歩いているときコンビニから買い物袋をさげたママと五歳位の男の子が出てきて私のすぐ後ろを歩き始めた。会話が耳に入った。「今日の献立に必要な買い物ではないんだけど」とママがいった。すると男の子がいった。「それじゃあ、幸せの食べ物なんだね」「幸せの食べ物」という言葉が私の心をとらえた。きっとクッキーかケーキか、男の子の好きな食べ物に違いない。
幼い子の発する驚きや疑問、造語はなんと素晴らしいのだろう。四十年も前になるが、二人の子の幼児期の新鮮な言葉をメモしたノートはまだあるだろうか。