第 3673 号2019.06.16
「 懐かしい自然とともに生活した時代 」
バッシ―(ペンネーム)
もう65年も前の話ですが、僕が小学生高学年(1955年)の頃、農家であった生家では稲刈りや田植えの手伝いに駆り出され、朝早くから農作業をしました。母や姉がお昼になるとお弁当を田んぼまで届けてくれました。お櫃に入った白いご飯にお新香や梅干し、塩鮭、野菜の炊いたもの等が弁当の中身でした。時には焼きお握りもありました。竹の皮に包んだり、重箱に入っていました。お茶は薬缶に入っていました。陶器の湯飲みで飲みました。生温かいお茶でした。番茶だったと思います。
ときどき手伝いが多くてお箸が足りなくて困った時が幾度かありました。そんなとき祖父はさっと立ち上がって近くの川の堤防へ行き、葦を取ってきて、葦の茎を箸代わりにしました。
その頃甘いものに飢えていた僕たち孫のために祖母は茗荷の葉で包んだ饅頭をよくつくってくれました。茗荷の風味がしてとても美味しかったです。白玉粉や小麦粉で皮をつくり中に餡を入れて包んで、蒸し器で作っていたと思います。餡の小豆は家の畑で栽培したものでした。
この頃は陶器、ガラス、竹、木製の食器、容器類がすべてでした。
竹でできた箕、籠、木製の桶、ブリキのバケツ、盥が日常の入れ物でした。プラスチック容器など皆無でした。堤防や野原の自然の中にあるものを使うことに何の不安もなく農薬や有害なものは無かったと思います。自然とともに生活がありました。食卓にもプラスチック容器に入ったものは影も形の無かったです。お味噌は量り売り、醤油は木の樽に入っていました。昭和30年代の半ばに即席のラーメンが出たころ、どんぶりで作って食べた記憶があります。すべてが懐かしい幼少期の田舎の生活です。