「 マトリョーシカ 」
島田真紀子(鳥取市)
「おかあさーん、だっこー」
小2になる娘が、半分ふざけて、半分甘えて、ソファに座る私の上に乗ってくる。
赤ちゃんのように両手でかかえて横抱きに抱きしめると、どこかくすぐったそうに笑って手足をばたつかせる。
0歳の時も、1歳の時も、3歳の時も・・・こうやって抱っこしてきたなぁ・・・あの赤ちゃんがこんなに大きくなったんだ・・・体は大きくなってもいくつになってもかわいいなぁ・・・
0歳の娘の顔、1歳の娘の顔、3歳の娘の顔・・・すべてが脳裏に浮かび、そして、8歳の娘の顔に、二重映し、三重写しに重なっていく。
「この子の中には、0歳の娘と、1歳の娘と、3歳の娘と・・・みんな入っている。」
そう思うとなんだか娘が生きたマトリョーシカのように見えてきた。
ひとつひとつ、大きくなり、成長してきた・・・でも、中にはちゃんと幼い頃の娘が入っているのだ。
このマトリョーシカはどんどん大きくなっていって、どんどん中身も増えていくのだろう・・・いったいいつまで?
瞬間、ふとひらめいた。
きっと、親にとって、子どもはいくつになってもマトリョーシカなのだ。
たとえ50歳になっても、0歳も、3歳も、5歳も、7歳も・・・10歳も、20歳も、40歳も入った巨大マトリョーシカ。
だから、たとえ子どもが50歳でも、いくつになっても、子どもがかわいくて仕方ないのだろうな、と思う。
母からみた私はどんなマトリョーシカなんだろう?祖母から見た母は?
想像すると、ちょっぴり可笑しくて、なのに胸の辺りがじんわり温かくなって、いいようのない幸福感が心を満たしていく。
「・・おかあさーん・・?」
不思議そうな声が白昼夢から私を呼び覚ます。
かわいいマトリョーシカのほほをつついてから、全ての思い出ごと、強く抱きしめた。