「 母の炒り鶏 」
西本 美緒(横浜市)
私は母の作る炒り鶏が小さい頃から大好きだ。ちょっと濃いめでご飯がすすむ。
鶏肉、にんじん、ごぼう、れんこん、そして蒟蒻が入っていて、最後に絹さやをあしらえば料亭で出てきそうな一品だ。
小学校の運動会でのお弁当には必ずこの炒り鶏がたっぷり入っていた。
そんな大好きな炒り鶏だが、思い出すとちょっと胸の奥がぎゅっと締め付けられるような切ない思い出がある。
それは学生時代の部活の卒業パーティーでのことだった。毎年、3月に卒業する先輩を送るために開かれる会で、一人一品持ち寄ることになっている。私はその年、母に炒り鶏を作ってもらい持っていくことにした。
当日みんながそれぞれ持ち寄ったものをずらっと並べられたテーブルに置いていく。食事の時間がくると、バイキングのように好きなものを取っていくシステムだ。
たっぷりタッパーに入れて持ってきた母の炒り鶏が、どれくらい売れているか気になって何度も何度も前を通りすぎ、ちらっと横目に確認した。
「あれ・・・全然なくなっていない。」
こっそり自分のお皿にたっぷりと盛った。一口食べてみたが、いつもの味でやっぱり美味しかった。それでも、何度通っても全然減っていない。
お箸じゃ取りにくいからスプーンでも持ってくればよかったかな、なんて思いながら心の中はざわざわしていた。
そんなとき、顧問の先生が、母の炒り鶏を食べながら「これ、美味しいな~」と言ってくれた。でも私のことを気遣ってくれたのかと思ったらなんだか余計さみしい気持ちになった。
結局、タッパーの中にたくさん残ったまま家に持ち帰ることになった。母はいつもと変わらずおかえりなさいと言ってくれた。
「なんだかすごいお腹空いてるからちょっと残った炒り鶏食べてもいい?先生にすごく評判だったよ!」なんていって、リビングでタッパーからスプーンでそのまま食べた。
やっぱりとても美味しかった。でもぽろぽろ涙が出た。