「 何をしてもいいし、何もしなくてもいい 」
斎藤 里恵(ペンネーム)
「この間の休みは何していたの?」と聞かれると、少し困る。
私は「何もしない日」が好きだ。
もちろん、誰かと約束をして遊ぶ日も楽しい。おいしいものを食べたり旅行に行ったり。人と会って散々遊んで、解散、ああ楽しかった、と感じる満ち足りた休日と同じくらい、私は「何もしない日」を愛している。
たとえばよく晴れた日に、お気に入りの音楽を集めたプレイリストを用意して、行き先を決めずに電車に揺られてみたりする。同じ車両に乗り合わせたちいさな男の子が、ご機嫌でお父さんに抱っこされているのを眺めるのもいい。お腹が空いたら適当な駅で降りてみる。「駅名 おすすめ グルメ」で検索して、ご飯を食べてまたのんびり帰る。
美術館まで出かけて、併設されているカフェで本を読むのもいい。読む本は何でもいいけれど、手に汗握るサスペンスよりは、エッセイや旅行記の方が適している。街のカフェよりずっと静かで読書が進むし、知的なカップルや上品なご婦人の、漏れ聞こえる会話も耳に楽しい。
家から一歩も出ないで卒業文集を引っ張り出してきたり、丁寧に足の爪にマニキュアを塗ったりして過ごすもの好きだ。たくさん寝たって許されるし、ずっと起きていても問題ない。何か考え事をしてもいいし、考え込んでいるふりをして、実は何も考えていなくたっていい。
したいことをするけれど、今日はこれをした、と名前をつけることはできない日。「何もしない」日は、とっても自由だ。
しかし私は、冒頭の問いに対して正直に答えるのは良くないと今までの経験上、知っている。何か趣味を見つけなよ、などのお節介はまだいいが、疲れてるの?と心配されてしまうこともある。
「何もしない日」の豊かさを上手に伝えられないのは歯痒いけれど、自分だけが知っていればいいとも思う。
分かるかな、分からないだろうなあ。勿体無いなあ。