「 我が家の年末・年始 」
一休さん(ペンネーム)
いつの頃か、大晦日に一族4家族が集まり賑やかに年越しをするようになった。決して召集をかけているわけではなく自然にこのような習慣となったのである。子供夫婦に孫が4人、それに弟夫婦が加わり合計12人で暮れの5時頃から夜半まで楽しい時を過ごす。
このようなスタイルは今どき珍しいのかもしれない。
私がまだ子供だった頃、やはり正月に一族が集まっていた思い出がある。まだ子供で楽しい思い出になっているのだが、後年、母よりその会の中にも葛藤があり、負担を感じつつも参加している人もいたことを聞いた。家長として成人してから後、このような記憶があるので、無理強いするような会だけは作るまいと心掛けてきたつもりであるが、ほぼ毎年、年末年始に、一族郎党が我が家にやって来てくれる。
妻と私は、年末になるとかなり前から、ご馳走の支度にとりかかる。毎年定番の料理もあるが、その年に覚えた新しい料理もつくる。おせちの類は妻が担当するが、新しい料理は私の出番だ。年々、料理に時間がかかるようになり、当日では間に合わないので、数日前から支度する。鳥の鍬焼きをつくるとしても、12人前となると焼くだけでもかなりの体力を要するのだ。
元旦は、妻と私のみが早めに起きて元朝の膳の支度にとりかかる。私は、庭の「弁天様」と「お稲荷様」に御餅をお供えし、祈る。元朝の膳の主役は何といっても妻の作る「きんとん」と「黒豆」だ。今年の「黒豆」は実に見事にできた。長年の経験の賜物だろう。私は三が日のみは、朝酒を飲む。これが私の正月の楽しみだ。
三日の夜には妻と二人だけの夕餉に戻る。「楽しかったけど、疲れたね。」毎年、同じ言葉が繰り返される。私達も共に後期高齢者、あと何年このような年末・年始を迎えることが出来るかわからない。それは仕方のないことだけれど、ここに集まってくれた人に、楽しかった思い出として残ってくれればそれでいいのだ。