第 3621 号2018.06.17
「 “紙好き少女”の今 」
山下 要子(宮崎市)
昨日私は古くなった紙製の空き箱6個分を平らにして紐で束ねた。収集日までには間があるので、それまでは我が家の定位置に待機させておくことになる。
私は以前から引出しや棚、押入れ、机の上、更に透明ケースの中まで、整理用の仕切りとして紙箱を愛用して来たので、改めて見直してみると家中が箱だらけになっている。
どうもこの癖は、私が小学校4年生の時、父が私専用の"手文庫"を買ってきてくれたのが嬉しくて、引出しの中を小箱で仕切り、ハンカチや小物を子供なりにきちんと納めたことを褒められたのが切っ掛けになったのではないかという気がする。何事にも厳しかった母からさえも、事"片付け"に限っては叱られた覚えがないくらいだ。
いずれ私の後始末をしてくれるであろう娘達の手間を少しでも省きたい、と務めてはいるが、生きている間はやはり捨て難い物が幾らかあり、その中に紙箱も含まれている。
昨今の箱は作りがしっかりしている上美しいし、商品にとっては花嫁衣装のようなものなので、用済みの後も一度は何かに生かしてやりたい、とつい情が移ってしまう。
私は元元紙や布の好きな子供だったが、これは年を取っても変わらないもののようで、旅行の出来ていた頃は、その国ならではのデザインの物に出会うと、お土産用にも求めたものだった。そして今でも壁に飾ったり時折取り出したりしては楽しんでいる。
私のすることは矛盾だらけで、時には早まってばっさり捨てて快感を味わった後で「しまった!」なんてことも少なくない。
デイケアに行かない日には終日割烹着に身を包んでいる私。用、不用の決断力のあるうち(怪しい)はこの作業は続きそう。年のことなど考えてる暇はない。