「 酸っぱい箱 」
掘知 恵子(ペンネーム)
4年前の春、カルチャー教室でご一緒しているSさんから「これ、自宅の庭で作ったものだけど」と、15?四方くらいの紙袋を遠慮がちに手渡された。
家に帰って袋を開けると、ずっしりと重たい夏みかんが2個。皮は凸凹があり、ゴツゴツして石のよう。硬すぎて手では剥けず、ナイフを使った。かんじんの中身はどうかというと、酸味が強すぎて生では食べられず砂糖で煮た。それでも自家製のものはうれしく、喜びのメールをしたからだろう。次の春からは、夏みかんが自宅に箱で届くようになった。いかにも採りたてで、葉っぱがついているのもある。
リビングの棚に飾ったら、黄色のそれがじつにまぶしく、もの静かなグレイの壁がキラリと明るくなった。あいかわらず酸味があったがなんとか生で食べ、無農薬と聞いていたので皮はピールにした。
そして今年。冗談みたいに見事なできばえだった。皮をむくとみっしり身が詰まっている。袋の中のつぶつぶは、はちきれんばかりに整列していた。あまりにおいしく、箱の底がわずか3日間で見えてしまった。
今回に限っては、ちょっとしたお礼の品を用意した。お教室のときに「今までいただいた中で一番!」と、直接言って品を渡す。そう、思っていた。
なのに、Sさんが座るはずの席は空いていた。次の月もまた次の月も、私のバッグは、お礼の品でふくらんだままだった。
何も知らない私たちが、いままでとかわりなくお教室で講義を受けている間、Sさんは周囲に本当のことを告げず、おそらくご家族だけに見守られながら、懸命に病気と闘っていたのだろう。そして、私たちに心の準備をする間も与えず、旅立ってしまった。
Sさんともう会えないという実感は、今の私にはない。
この寂しさを私が心底感じるのは、いやしくも来年の春なのだろう。Sさんからの、酸っぱい箱が宅急便で届かない。そうなったときにはじめて、Sさんは遠くに行ってしまったのだと心の底から思うのだ。