第 3596 号2017.12.24
「 小さな冬 」
貴田村 優(名古屋市)
新潟のスキー場の中で私は育った。一昨年までは冬になると身長の2倍も3倍もあるような雪壁の間のほそい道を通り、何度も何度も転んでおしりを濡らし、地面から噴水のように溢れ出す消雪パイプの水にひっかかり靴下をびしょびしょにして毎日学校へ通っていた。来る日も来る日も雪なんかなくなってしまえと思いながら厳しい雪国の長い長い冬の終わりを待った。初雪さえも厄介な季節の訪れ程度にしか思っていなかった。
名古屋に移り住んで2回目の冬が来たようだ。名古屋の冬に雪はない。あれほど雪のない暮らしに恋焦がれていたのに実際に体感してみると雪がない冬というのは私にとっては冬ではなく冬と並行して存在する5番目の季節のようで少し気持ちが悪い。雪のない冬は例えるならしっぽのないエビフライ。なくても問題ない、むしろない方がいいようなものだが、本当になくなってしまうと寂しいというか、物足りないないというか、なんだかもう別物にさえ感じてしまう。
そんな名古屋の冬にも先日初雪が降った。私はアルバイトで小学生に絵本を読んでいた。小学生たちは雪を見ると走って外へ出て映画『プラトーン』の名シーンのようなポーズで初雪を全身に感じていた。きらきら光る雪の結晶に目をきらきらさせて見上げていた。小さなその瞳の中に私は小さな冬を感じた。すぐにとけてしまう小さい冬の初雪は儚くとも美しかった。