第 3567 号2017.06.04
「 父とランドセル 」
菅谷 敏子(荒川区)
「その店にある一番いいのを買ってきたんだよ」そう言って父は私に赤いランドセルを渡してくれた。私はもちろんうれしかったが、父の声もとってもうれしそうだった。今からもう60年も前の出来事なのに父のこの言葉は私の中で有名なキャッチコピーのようにこびりついている。父が会社の帰りに買ってきてくれた上野のカバン店は今はもうないけれど、その場所を通った時などにもこの言葉が決まって思い出されてくる。
6畳と2畳の長屋住まい、父がいて母がいて姉がいて弟がいて、その中に買ってもらったランドセルをしょってうれしくてたまらない私がいる。そんな情景であったであろう。そのすみずみまでは覚えていないけれど、この「キャッチコピー」は私にそういう子供時代の家族の温もりを懐かしがらせる。
それにしても私の父は何か物を買うときに「一番・・・」という言い方をよくするということに、大人になってから私は気づいたのだけれど・・・このランドセルに関してはなんとも言えないやさしいあたたかさを感じるのだ。
先日ラジオを聞いていたら「幸せの記憶、それがどんな小さなことでもいいんです。それがあればその人の生きる支えになります」と言っていた。もしかして父の言葉は私にとって幸せの原風景を呼び起こしてくれる言葉になっているのかもしれない。