「 思春期の孫と共に 」
沼口俊男(葛飾区)
遊びに来た中学三年の孫とテレビを見ていた時のことである。「日本の農業は高齢化が進み、若い人の担い手も少なく、窮地に陥っている」との報道に「これからは農業がいいぞ、将来やってみる気はないか」と自分の経験を踏まえて孫に質したところ、「農業は、近いうちにロボットがやるようになるんだ。お爺ちゃんの時代とは違うんだよ」と一蹴されてしまった。どうやら孫は、最近注目されているロボットに関心があるようだ。
番組が終わるや否や、孫の目はスマホに食い憑かれていた。
「人が話しているのに、顔も上げず、返事もせずでは会話にならない」と注意した。孫は笑って「ゲームや勉強のことをやっているんだよ。お爺ちゃんの時代とは違うんだ」と、またしても時代の変化を強調するばかりだ。言論の自由はともかく、スマホの自由には、何らかの制約があってもよいのではないのだろうか。
このような孫とのたわいない一時は、56年前の未熟な15歳の少年を写し出した。当時、母から「手に職をつけると、食いっぱぐれがなくていいよ」と言われた。子供の性格や能力を見越してのことだったのだろう。ところが「嫌だよ。そんな時代ではないよ」と訳も分からぬことを言って突っぱねた。思春期の思いに、昔も今もないのであろう。
しかし、思春期は、季節でいえば桜咲く春の世界だ。やがて来る酷暑、台風、暴風雨といった大人の世界にはまだ間がある。それ故、孫の周辺では、カラスの如くさえずる大人が多いのは、無理からぬことだ。
その先頭にいる娘の口からは叱咤激励は耳にするものの、誉め言葉は聞いたことがない。だが、成績がもの足りなかったり、親や祖父に多少の反抗があっても、孫に健康で優しい人間に育っているので、多くは望むべきではないだろう。
今後、祖父の立場としては、孫に四の五の言うのではなく、生涯の課題である「人として大切なことは何か」を話し合っていけたら良いと思っている。