第 3552 号2017.02.19
「 待つ人 」
唯(ペンネーム)
人を待つというのはなんと勇気のいる行為だろう。
携帯電話が普及し、連絡をとるのが格段に楽になったいまでも、まちどおしく時計を眺める瞬間に変わりはない。
あと何分で現れるだろう?はたしてあの人は来てくれるだろうか?
なにかあったのかな?もしかして約束を忘れてしまってはいないだろうか?
人を待つのはなんともこころもとない。待つ側は、「きっと来てくれるに違いない」と信じて待つしかないからだ。
そういう意味では、人を待つ時間は誰かを信じる時間なのだ。
その1分はときどき1時間よりも長くなる。ひょっとすると時間というものは、私たちが思っているよりももっとあいまいで、気分によって伸び縮みするような、ぐにゃぐにゃとしたものなのではないかと私は思う。人間だけが、時間は一定だと、いつも同じスピードですすんでいると思い込んでいるだけで。だってみんな口を揃えて言うではないか、「子供のころは今よりずっと時間がゆっくり流れていた」と。
そんなことを考えながら、私は今カフェで恋人をまっている。「遅れてごめんね」申し訳なさそうに現れるその顔を、私はすこし怒って迎えようか、それとも無事に来てくれたことを喜ぼうか、迷いながら。まったく、全国の遅刻魔のみなさんには、人を待つ時間ほど心細いことはないことを、よく知っておいてほしいものである。そうだ、彼が現れたら、さみしい思いをさせたおわびに、ケーキをおごってもらうこととしよう。ここのケーキは大きくてふかふかで、とてもおいしいのだ。食べきれないから、半分こにして。