第 3539 号2016.11.20
「 姑の誕生日 」
加藤 弥生(北区)
今年の8月、6年半寝たきりだった姑が亡くなった。
同居ではなかったが、嫁いで以来徒歩10分の場所に住み、良い事も悪い事もあって32年が過ぎた。綺麗事だけでは済まない日々だったのは、どこの家でも同じであろう。
それでも何とかやってこれたのは、姑が我慢強い人だったお陰である。私もいつの頃からか、彼女の面倒は最後まで自分でみると決めていた。至らないことが多かったが、病院に付き添って行くと、どこのお医者さんも「本当の娘さんですね。」と言われたことが、唯一私の誇りである。「お嫁さんですか?」と聞かれたことは一度もない。
四十九日、納骨と一つ一つ終わり、いつもの日常が戻ってきた頃、姑の誕生日がやってきて私はハッとした。11月30日、生きていれば今年92才になるはずだった。
昔の人はお正月を迎えて年を一つ取る習慣だったせいか、誕生日に対する感覚が私達とは違う。姑もそんな一人だったし、その上に彼女は早くに親を亡くしたので、自分の生まれた日を10月30日だとずっと思っていて、大人になってから初めて正確な生年月日を知った、と本人から聞いていた。
「お祝いしてもらうと早く死にそうだから」という言葉に甘えて、きちんとお祝いしてこなかったことに、私は申し訳なさで一杯になった。それは突然、込み上げてきた気持ちだった。
今更謝りたくても、もう遅い、でも姑はきっと許してくれる、そう信じたい。11月最後の日、謝罪の思いと32年間の感謝を込めて、空に向かって私はそっと伝えた。
「お義母さん、お誕生日おめでとう」。