「 あき 」
高橋まりあ(ペンネーム)
毎年、彼岸花が咲き金木犀が香る季節になると思い出す人がいる。
出会ったのは桜も散って新緑の頃、ロマンチックな出来事ではなかったけれど今でもよく覚えている。学生時代に付き合っていた彼は私よりも背が高くて、優しくて同い年。笑顔の可愛い男の子だった。
私達の関係が一歩進んだのは夏の途中、お祭りの帰りに二人で歩いた神社の参道でのことで彼の言葉が嬉しくて、嬉しくて、幸せで溶けてしまいそうだった。
学生だった私達のデートは、近所の公園を散歩したり、アルバイトの帰りに何十分かお喋りをするようなことばかり。それでも、彼の隣で彼と手を繋いでいる瞬間が何よりも幸せだった。春の夜に満開の桜の木の陰で口付けを交わしたこと、手を繋いで動物園を巡ったこと、私の誕生日に観覧車に乗って横浜の空を飛んだこと、クリスマスの日に「寒いね。」と身を寄せながら何駅分も歩いたこと。彼はいつも私の望むように私の隣にいてくれて、手を握ってくれていた。
優しい彼との恋の終わりは夏の入り口のことだった。
あの頃の私は彼が私に与えてくれていた「ささやかな幸せ」の尊さに気がついていなかった。失って初めて気がついたことが多すぎて、突然の言葉につらくて、溢れ出た涙で最後まで彼を困らせた。繋いでくれた手は最後の日も変わらず優しくて、それが悲しかった。
今、彼がどこにいて何をしているのか私は知らない。それでも彼に似合う優しくて可愛い女の子と手を繋いでいてくれたらいいなと思う。
空が高くなって、風の色が変わると私は彼を思い出す。甘くて切ない気持ちになるのは少しくすんだ色が似合う季節だから、だけではない。
「あき」
その季節の名前を呼ぶことは、私にとって、あの頃大好きだった彼の名を呼ぶことになる。
秋が巡るたびにそっと貴方の名前を呼ぶ。きっと、この先ずっと何年も、何十年も。
あなたと私、それぞれの幸せを願って。