第 3526 号2016.08.21
「 夏休みの思い出 」
小川 鈴菜(ペンネーム)
早朝、「すずなちゃん~」とあの頃の独特の節回しで隣家の友達が誘いにくる。当時の世田谷では生垣が多く子供たちは玄関から出入りはせず、木々の隙間をくぐり抜け、庭から庭へと自由に行き来していた。夏のラジオ体操は出席する度にカードに一個の印を押してくれた。体操のメロディーは今と同じである。全出席すればご褒美に鉛筆がもらえる。午前中は学校のプールに行った。
夏に日焼けしておくと冬に風邪をひかないということが信じられていた。石蹴りやゴムとびでも遊んだ。石蹴りはお気に入りの石を持ち寄って集まり、ゴムとびは輪ゴムをつなぎ合わせて作り、一方を電信柱に結びつけた。夕方になると豆腐屋が自転車でラッパを鳴らしながらやってくる。豆腐屋のおじさんは時々ラッパを貸してくれ、子供たちはそれを吹き鳴らして喜んだ。夏の終わりの皆の楽しみは九月第一週の土日に催される八幡様のお祭りである。夏休みが終わって初めての学級会では「お祭りのおこづかいについて」が毎年決まっての題であった。あの頃は夜に外出するということは皆無だったから、宵宮に僅かなおこづかいを握りしめて友人たちと縁日の店をつぎつぎ見歩く珍しさは年に一度の格別なものであった。
各家には八幡宮と書かれた提灯が軒先にかかげられて蝋燭が入り、雰囲気をさらに盛り上げた。金魚すくい、水中花、カルメラ焼き、風船や、セルロイドの玩具等々、裸電球の明かりの下でまるでラッシュアワーの時のような混み具合となり、普段とは全く違う雰囲気であった。日曜日には各町会の神輿が何台も宮入りし、お祓いをうけ町を練り歩く。祭も終わり、月曜日に八幡様の前を通ると、すっかり境内は掃き清められ、まるで夢をみてたかのような静寂な場所に戻っている。昭和三〇年代の夏、小学生だった頃の思い出である。