第 3524 号2016.08.07
「 あの日の蛍 」
星野 きみ子(川崎市)
蛍を見たいと唐突に思った。
私は子どもの頃夏になると必ず蛍に逢える豊かな自然の中で育った。家の脇を流れる川は巾二米程川は澄み、おだやかに流れていた。
夏夕暮が濃くなっていく頃、川辺にはいずこともなく蛍が湧くように群れ飛び交う。
夕涼みがてら近所の人が集まって来て、乱れ飛び蛍を眺めてひと時を過ごす。
「夏は夜 月の頃はさらなり 闇もなほ蛍の多く
飛びちがいたる」
まさに枕草子の一節のような情景であった。
昭和二十年夏、不思議な蛍との出逢いを今も忘れない。部屋の灯りを消して縁側に腰をかけ、母と二人で蛍を見ていた。
「ホーホー蛍こい」蛍を追う子ども達の声、夕涼みの人達の話し声、淡い月の光の中で何故か寂しそうな母の顔、二年近くも音信のない戦場にいる息子を案じ、その事が限りなく母を不安にしているのだろう。当時十二歳の私は、母かける言葉も見つからずに、ただボーと蛍を追っていた。その時、灯りを消した部屋の中に一匹の蛍が迷い込んで来た。
蒼白い光を放ちながらゆっくりと飛ぶ蛍、憑かれたような表情で母はそれを追う。数分いや数秒だったかも知れない。やがて蛍は、母の頭上を舞うようにして外の闇に消えていった。
八月終戦と同時に兄の戦死の公報が届く。
激戦地ビルマでの戦死、届けられた白木の箱の中に一片の骨等あるはずもなく、それでも母はその箱を抱き何か語りかけていた。
七十年前のあの夏、故郷に帰る事のかんわなかった兄と多くの仲間達は、蛍となって父母の許、妻の許、愛しい子等の許に飛んで来たような気がする。はかなくて美しく、妖しくもある蛍、故郷のあの川にもう見る事は出来ないが、蒼白き光は今でも時折私の私の中で明滅している。