第 3523 号2016.07.31
「 故郷のお墓を訪れて 」
長坂 隆雄(船橋市)
久方ぶりに故郷の墓地を訪れた。
私の故郷も過疎化が進み、多くの若者は故郷を離れ、残されたのは老人の多い地域となってしまった。
私の育った当時は、墓地といえば一種の団欒の場であり、どのお墓も色とりどりのお花に包まれ、あたかも浄土の再現の様な楽園の感すらあった。
それぞれの墓石に刻まれた物故者の文字に、懐かしい多くの人々の名が思い出された。
優しく接してもらった近所のおじいさん、おばあさんの名もあった。
『ーーチャン、元気で生活してる?』と亡き姥さんの
声が耳元で囁く。
いたずらをしては、本気で叱ってくれた隣のお爺さんの名が思い出された。
色々と、故郷の幼かった頃がよみがえり、懐かしく自然に涙がこぼれた。
縁故者もなくなり、いても遠隔地の為、無縁仏となった墓石も各地で増えつつあると耳にする。
併し、私の故郷の墓地は、無縁仏となった墓石も、美しく清掃され、誰が供えたのか、美しい花が供えてあった。
都会では考えられない、地域全体が運命共同体といった様な空気が流れていた。
砂漠と化した感のある大都会と異なり、故郷には先祖を敬う、良き情愛の伝統が息づいているのを知り嬉しくなった。
『故郷は遠くにありて思うもの』と人は言う。
併し、時には故郷の墓地を訪れ、感慨に浸る大切さを此の時程感じた事はなかった。