第 3514 号2016.05.29
「 地球の引力 」
長坂隆雄(船橋市)
私は妻の不機嫌で怒った顔を見た記憶が殆どない。喜ぶべき事かも知れないが、時として、少しお脳の構造が欠落しているのではないのかとさへ感じる事もあった。
先日、母の墓参りに京都本願寺の大谷廟を訪れた。
参拝を終えた処、突然の降雨に崇られ、廟前のレストランで休息した時の事である。
注文のコーヒーを運んで来たアルバイトの女学生が、つまづいて手を滑らせ、彼女の喪服にコーヒーを浴びせてしまった。
周囲の客が、いっせいに彼女に注目した。私も一瞬、彼女の怒った顔が見えるかも知れないと思った。
半ベソをかきながら、うろたえて、立ちすくむ女学生に妻は
『いいのよ、いいのよ、気にしなくて良いのよ。おしぼりを頂戴』と穏やかに言った。
奥から出て来て、平身低頭する店の店主に
『こぼそうと思って、こぼしたんじゃないでしょう。この方が悪くないのよ。
地球に引力があるから仕方ないのよ。叱らないでね』
と言った。
アルバイトの女学生は、目に涙を浮かべて頭を垂れていた。
五十年に余る彼女との長い生活の私も、
『地球の引力』との彼女の発想には、言葉もなかった。
周囲の客にも、和やかな笑いと、安堵の空気が流れた。
怒ってみても、もとの状態に戻る訳でもない。地球の引力と思えば、人間の力ではいかんとも出来るものではない。
思えば、人は心の持ち様で、世の中平和にもなり、対立にもなる事をしみじみ感じた一瞬でした。