第 3509 号2016.04.24
「 リュックサック 」
谷原安寿(ペンネーム)
70歳を過ぎた母に、もうリュックの方がいいよ、と、ちょっとおしゃれなものを選んだ。とても気に入ったようで、満面の笑顔の母はいつもより軽やかに、母娘旅行を楽しんでいた。青い空の下、白地に明るい柄のリュックは、母の背中によく似合っていた。
三度目の手術は療養期間が長くなった。毎度のことながら、情けないことに病人は私、看護人は母。母のおしゃれなリュックの中には田舎の野菜が詰め込まれた。30分、電車に揺られて、娘の食事を作りにリュックを背負って母はやってくる。「丈夫に産んでやらんやった」と、母の口癖。
慣れないマンション、フローリングの床に座り込んで、どんなにか、重かったであろう、新鮮な野菜たちを、母はリュックから取り出して、「何が食べたいね」と言う。「何やったら食べられるね」と横になる私の顔を覗き込む。
「おかあちゃんのごはんなら、何でも食べれるよ」そう言いたいけれど、いちいち涙で大げさになりそうで言えない。
海より深いどころではない。地球の裏側までも突き抜けて、宇宙までも飛び出してしまうくらい、母親は永遠に愛情のかたまりの母親で、私はいつまでたっても心配の絶えない娘。
台所に立つ母の背中は小さくなったけれど、母の味は衰えることなく、あぁ、いいにおい、あぁ、美味しいなぁ、体中にしみわたる。
リュックのポケットにガイドブックをいれて、また行こうね。もう少し、もう少し、元気になるからね。