第 3508 号2016.04.17
「 葉桜の季節 」
公園の母(ペンネーム)
朝の公園は、清々しい空気に満ちている。公園を横切って颯爽と歩くサラリーマンや、犬を散歩させる人がいるくらいで、ほとんど人はいない。よちよち歩きの子どもと二人、さわやかな季節に浮き立つ心で、満開の桜を眺める。
ふと公園の隅にあるベンチを見ると、スーツ姿の男性が座っている。三十代くらいだろうか。脇にはカバンが置かれていて、腕にはパッチワークの巾着がぶら下がっている。可愛らしいその柄からして、奥さんが作った弁当が入っているようだ。
子どもを遊ばせて、昼食に帰ろうとすると、まだ男性はいた。よく見ると、表情は暗く、肩をガクッと落としている。辛い事でもあったのだろうか。私達は、そっと彼の前を通りすぎた。
次の日も、その次の日も、桜が散り始めても彼は座っていた。朝、会社に向かう彼に、何も知らない奥さんが笑顔で弁当を渡す。彼も微笑んでそれを受け取る。でも、彼には行き先がない。何らかの理由で仕事を失ったのだ、恐らく。昔、自分にも同じような事があった。あの頃は、世間が自分を必要としていないと思い、どん底だった。でも、そんな時を乗り越えたからこそ、今、この時がある。人の痛みも、少しは解るようになったと思う。
ある日、ボール遊びをしていると、ボールが転がって男性の足元に行ってしまった。ボールを追って、子どもが男性の方へ向かう。男性は人の気配を感じたのか、顔を上げた。そして、ボールをつかみ、何かを言いながら子どもに渡してくれた。その表情は、こちらがハッとするほど、切なく、優しかった。彼はそのまま立ち上がって空を仰ぎ、伸びをした。そして、子どもに手を振ると、ゆっくり歩き始めた。
「頑張って」
私は彼の背中に向かって、つぶやいた。いつの間にか伸びてきた葉桜が、美しく輝いていた。