「 あたらしいまち 」
匿名
この町に引っ越してきて、はたと困ったのが「どこで髪を切るか」ということだった。
新しい美容院を開拓するのは、実はかなり難しい。結局引っ越しから半年くらいは、以前住んでいた町の美容院に出かけていた。片道3時間はゆうに越える距離だったので、ほぼ旅行状態と言っていい。かかる時間もだけれど、正直お金もきつかった。
その後この町でできた彼氏に、自分の通う美容院を勧められた。
まだ新しい美容院だけれど結構いいよ、と。
その新しい美容院に、思い切って行ってみた。かなり緊張した。
その店主は私と同じくらいの年の男性で、赤い口紅をつけていた。
もし彼氏の紹介がなかったら、絶対に行かなかった店だと思う。
初めての私は、まずは登録カードといものを書かされた。「来店のきっかけ」という項目には「知人の紹介」に丸を付けて店主に渡した。「差支えなければそのかたのお名前もご記入いただけますか」と、赤い口紅の店主は言い、私は彼氏の名前を書いた。「ああ」と合点が言ったように頷いた店主は、「もしかしたら近々彼女さんが来るかもしれない、と聞いていたんですよ」と言った。
彼が外で私の話をしているということが、私にはかなりこそばゆく、そして嬉しかった。私は思い切ったショートにしてもらい、本当に軽やかな気持ちでその店を出たのだった。
その日はそのまま彼氏のアパートに行った。帰ってきた彼は、店主からのメールで私の来店を聞いていたらしく、私の髪型を褒めてくれた。たまらなく幸せな気持ちだった。
今でも私はその店で髪を切っている。たぶん彼もまだ通っているのではないかと思う。彼とはもうずいぶん会っていない。彼のことは大好きだったけれど、なんとなく私たちは会わなくなって、私は彼ではない人と結婚した。
あれからもう4年が過ぎた。店主の口紅はますます赤くなって、ショートヘアを続けている私よりも、うんと長い髪をしている。