「 父のチョコレート 」
佐藤 瑞枝(横浜市)
そうだ、チョコレートを持っていこう。父の誕生日が近いことを思い出して、店に立ち寄る。父が好きだったチョコレート。喜んでくれるだろうか。といっても父はすでに他界している。仏壇にお供えしたあとは母がひとりで食べることを思うと、あまり大きなサイズは食べきれない。輸入菓子を扱っている店で、一番小さい包みを手にとる。ついでに自分の分も買う。私もチョコレートが大好きなのだ。
禁煙すると父が言いだしたのは、私が小学生の時だ。当時、私たち家族はアメリカに住んでいた。禁煙アイテムにはチョコレートが採用され、父は煙草の代わりにチョコレートを食べるという。
リビングに立派な木製の入れ物が置かれた。手触りのよいまるい蓋を開けると、ふわっとチョコレートの甘い香りが広がった。
我慢できずに手をのばす。おいしい。一瞬でチョコレートのとりこになる。父に見つからないようにそっと音をたてずに蓋を開け、チョコレートを掴む。子供心に「しめしめ」と思っていたが、残り少なくなるとちゃんと補充されていたのだから父にバレていなかったわけがない。
チョコレートを持って実家に行くと、母は喜んだ。
「パパ、これ好きだったわよね。どこで見つけたの?」
私は買った店の名を言う。
「パパったら、会社の引き出しにも入れていたのよ。そしたら秘書が勝手に引き出しを開けて食べていたんだって。そういうの、やっぱりアメリカよね」
母はそう言って笑った。驚いた。父は会社でもチョコレートを勝手に食べられていたのだ。
「今年は独り占めできるよ」
持ってきたチョコレートを仏壇にお供えした。アメリカ人の秘書は、私のようにこそこそしたりせず、堂々と上司の引き出しをあけ、チョコレートをほおばっていたに違いない。笑いがこみあげてくる。
チョコレートがなくても父は禁煙できたのではないかと今になって思う。ただ単に周りを笑顔にしたくて、父はチョコレートを常備していたのではないだろうかと。