第 3498 号2016.02.07
「 手紙 」
日沼 よしみ(南アルプス市)
むかし。
チョコレートのパッケージの裏に書かれた手紙を受け取ったことがある。
新宿駅のホームで私を見送ってくれたそのひとは、いつも立ち寄る居酒屋を尻目に、自分のアパートに直行はしたものの、いたたまれないほど、さみしくなったのだという。そして、昼間、二人で一緒に食べたチョコレートのパッケージに「今、逢いたい」とだけ書いて送ってよこした。
封を切ると、わずかに残るチョコレートの香りとともに、私の知らないそのひとのアパートの空気がこぼれた。
常備してあるはずの便箋をきらしていたのだろうか。買い求めに行く時間を惜しみ、とるものもとりあえず、そんな気持ちが伝わってきて、切なかった。甲府に向かっていた走る中央線の夜行列車の窓に、ぼんやり映る自分の顔をながめていた同じ時刻に、そのひとがポストに走っていてくれたかと思うと、二日間の時間差を経て、手元に届いた手紙がいとおしかったものだ。
思うに、手紙は少なくとも書いている間は、相手のことを考えている。だから、その「時間」をも、相手に贈ることになると言っていいだろう。
げに手紙とは、雄弁に語らずとも、ただ書き送ること、相手に届き得るものなのかもしれない。
メタボのおなかを天井に、となりの部屋でただいま昼寝中のそのひとが書いたチョコレートの手紙は、私にそれを教えてくれる大切な手紙である。一番。