第 3494 号2016.01.10
「 往復書簡 」
今村 圭子(山梨県中央市)
お弁当の大切さを教えてくれたのは娘の幼稚園だった。娘が通っていた幼稚園は、今では珍しい完全お弁当制で、週5日のうち1日でも、パンの注文や仕出しのお弁当が利用できると助かるのに、と最初は少し億劫だった。けれど入園して間もない頃、年少児のクラスでは、それまで元気に遊んでいた子供たちが、お弁当の時間になると、泣くことが多いのだと聞いて、気づいたことがあった。
子供はきっと、お弁当箱のふたを開けた時に、母親を思い出すのだろう。あるいは母の不在に気づき、寂しくなるのだろう。小さなお弁当が母と子供をつないでいるのだと。
お弁当は、目に見えない『心』が形を成す稀有なものだと思う。
人は食べたもので出来ている。だから手を抜かないと決めた。娘の幼稚園時代はもとより、息子の高校3年間、できる限り手作りのお弁当を、欠かさず作ると自分に約束した。
日本じゅう、あるいは世界のいたるところで、母たちは毎朝、まだ薄暗い台所で、同じ願いをこめながらお弁当を作っているのだろう。お弁当は我が子との往復書簡。今日1日の無事と、成長を願いながら、母たちは黙々と立ち働いている。
私は今、成長して高校生になった娘のお弁当を作っている。おそらく、子供のためにお弁当を作る最後の3年。1日1日が大切に思える。